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なんと万華鏡

南砺市には、いろんな花が咲き、がんばっている人がいて、面白いことが起きています。

結いで守った世界遺産

2012年10月01日


        富山県民会館で、
        戦時下のくらし展。

        いなかでも、
        こんな「防空頭巾」を
        着用して備えた。
        忌まわしい記憶。
        死体の判別や、
        負傷者の緊急手当てができるよう、
        胸に、氏名と血液型の
        大きな名札をつけて。

        アメリカの
        爆撃機の「空襲警報」で、
        子どもまで、
        日本じゅうが逃げ回りました。

        防空壕か、
        鉄橋の下へ飛び込みました。

        なにかの
        マスコットマークの
        原点でしょうね。




 美術館の友の会で、研修会
 南砺市政の出前講座です。

 世界遺産
 五箇山の歴史と文化


 講師は、南砺市教育委員会
 浦辻一成 世界遺産・文化課課長
 もと村史編纂室長のベテラン。




 世界遺産の合掌造りの語源、
 そして屋根の萱の葺き替えの話。
 「結い」のシステムで、
 世界遺産は守られてきた。
 萱場の存在、萱の確保が生命だった。

 実によくできた萱の貸し借り制度。
 しかし、瓦葺きの増加で、
 あっというまに、結いは崩壊した。

 ショックだったのは、
 昭和30年代の
 五箇山の集落の記録写真。
 五箇3村のいたるところが、
 相倉集落と同じ風景。
 白川村をしのぐ、世界遺産の光景。

 瓦葺きが遅れたばかりに、
 普通の集落が、文化財として
 多くの識者の努力で世界の宝になった。

 観光客の大半は、
 屋敷林など、緑の里の、
 世界的な生活文化を体験したい、
 畏敬の念を持てる人たち。

 住んでいる市民には、
 なかなか実感できないものだが。
 ほんものの文化。
 文化財は南砺市の至宝。


 そんなことを
 参加者が肌で感じた市政出前講座。
 ありがとうございました。
 あっという間だった、
 次回もぜひ、との声が多かった。

 おまけ:

 古い友達に、沖縄・竹富島の民俗館、
 喜宝館の館長、上勢頭芳徳さんがいる。
 いま、NHKのドラマ、
 「つるかめ助産院」の舞台です。
 来館者に、どちらから?と聞いて、
 富山といえば、この人知っていますか?と
 尋ねるのを常として、
 びっくりされるのを楽しんでいます。
 重要伝統的建造物や、
 民藝の関係で南砺市にも。   

 http://www.napcoti.com/culture/kihouin01.htm

 この島にも結いの風習があります。
 ゆるやかなものですが、
 面白いのは「藁算」
 文字が書けない島民のために、
 藁で記録を残します。
 家の新築の際に、誰から何をいただいたか、
 すべて、藁の記号で表現できます。
 世界でも珍しいものです。





 

ことしの甘ガキ

2012年10月02日


       キンモクセイが
       いっせいに香る。


       となりのきやくは
       よくかきくうきゃく

       早口ことばの定番。

       ことしの
       異常気象か、鈴生り。
       ヒトハとかいう種類。




 いまどきの、日本人。特に若い人、
 子どもは柿を食べない。
 ほかに、果物が多いせいか。
 りんごでさえ、皮をむくのが面倒と、
 敬遠する家庭も増えている。
 何ということ。

 中央アジアや、東南アジア、
 ヨーロッパへ出かけると、
 必ずマーケットを覗く。
 山盛りの地元の果物。安い。
 パッケージ入りなんてない。
 イタリアでは「KAKI」で通用する。
 とても人気。

 土生新や立野が原周辺は、
 干し柿の産地の中心。

 もともと、救荒果物だった。
 民家は東向きに建てられていて、
 冬は太陽光が入るように落葉の甘ガキを
 植えて、間食の代わりとした。
 実家では、9種類の早生、中生、奥手の
 稲と同じような種類があった。

 家族が多かったから、
 最後の晩生のコーリンまで、
 きれいに食べ尽くした。

 田んぼと畔の境目などには渋柿。
 干し柿にして、換金特産品に。
 生活の知恵であろう。




 家の周囲の水田の中に、
 3か所くらいの畑があって、柿木畑に
 なっていたが、すべて、
 明治初期に北海道へ移殖された屋敷跡。
 もう、4〜5代も替り、音信はない。

 旭川近くの幌加内で講演したとき、
 終わって、南砺がルーツという人たちが
 何人もおられてびっくりした。


 ことしは、小粒。
 まだ表面は青いのに、
 しっかり胡麻をふいていて、
 とびっきり甘い。
 


 

敵もサルものひっかくもの

2012年10月02日


       ある調査で
       有峰湖へ。

       この猛暑で、
       持続可能エネルギーの
       源も、さすがに
       大幅減水。



 湖底に沈んだ村の守り神8体の狛犬





 サルやオオカミ、熊、ヌエなどを
 対にして刻まれた彫刻。
 それを、井波の彫刻家の
 横山善一さんに、モニュメントに
 制作していただいた。

 これは、ただならぬ先人の作品だ、と感激。
 ほとんど材料費実費で、
 すごいエネルギーで取り組まれた。
 貴重な記念碑でもある。
 
 30年以上も前のことである。
 富山写真語・万華鏡243号有峰の狛犬



 10メートルを超す、
 巨大なブロンズ仕上げの大作。
 よき時代であった。




 資料をカメラに収めて、
 有料道路を
 下山していたら、
 サル軍団に出っくわす。
 幸い、カメラを手にしていた。
 助手席専門なればこそ。



    クリックしてみてください。
    この逃げ足の速さ。


 ちょうど実ったクリを
 集団で漁っていたところらしい。

 逃げサル連中。
 
 全力疾走の姿が、野生的。
 3種類の有峰のサルさんに遭遇した日。










南砺で、ミレー見られる

2012年10月04日

       秋の風情に
       ふさわしい本格的な
       油絵展。

       向井潤吉展で、
       こんな一点が。




 戦前に、パリへ留学。
 ルーブル美術館で模写。
 あの、ゴッホも、
 ミレーの油絵を何点も模写しています。
 その模写が切手になっているほど。
 
 フランスなど
 欧米の超一流の美術館では、
 画家をめざす若者を
 とても大切にします。
 国宝級の名作を、
 その前で模写を許可しています。
 東洋からやってきた無名の若者にたいしても。
 向井潤吉もその一人。

 芸術文化で尊敬される国。
 日本はいつの日か。


 ミレーの作品は小さなものですが、
 精緻な模写を見ただけで、
 原画の素晴らしさがわかります。
 もちろん、
 模写もすばらしいですが。

 併せて、
 富山市中央通りのギャルリ・ミレーも
 見ていただいて比較してみることも、
 おすすめします。
 これはすべてホンモノです。

 北陸銀行さんの協力で生まれた、
 小さな町なかの美術館。
 わざわざ新幹線で、東京から、
 これを見るだけに観光客がやってくる、
 中身の濃いスポットになるでしょう。

 向井潤吉の自宅が不審火で、
 数多くの戦前の模写が消失。
 有名な晩鐘なども。
 この作品は、
 難を逃れた貴重な模写です。
 
 

南砺は食材の宝庫

2012年10月05日


        南砺は
        食材の宝庫である。

        第6回の
        とやま地産地消県民会議
        南砺いっぷく市が
        食育や給食食材提供などが
        高く評価されて
        知事表彰。
        おめでとうございます。




 これが、小学校?
 食育の現地視察で砺波東部小学校へ。
 740人のマンモス校。
 任期もあとわずかの上田市長も。
 ご苦労さまでした。





 ぜ〜んぶ地元の
 食材による学校給食を
 いただきま〜す♪





 つづいて、旬菜市場「ふくの里」
 県の委員や、食育の関係委員。
 このタイプの施設で、
 県内最高の実績を上げていると、
 説明があった。
 地域に親しまれ、定着している姿に
 みなさん感心。
 本来、知事が視察の予定が、
 急遽全国知事会へ。





 学校給食への地元食材提供で、
 大きな給食センターに委託するところでは、
 機械化されているため、
 なかなか地場食材が使いにくいとの
 指摘もあった。
 学校ごとの給食提供は、
 コストがかさむが、
 地場食材をこまめに提供できるという、
 メリットも大きい。





 きょう午後、
 アフリカの農業研修社9名が、
 南砺市へやってくる。
 閑乗寺から、
 散居村を展望し、
 井波、杉森農場を視察。
 散居村の農業や歴史を学ぶ。





95歳の現役ばあちゃんに拍手が

2012年10月06日



 砺波散居村ミュージアム。
 アフリカ青年研修生たちが、研修。
 連作障害がない米づくり。
 せまい面積で、稲作が可能なことを学ぶ。
 当たり前の、砺波地方の農業は、
 世界でも異例な事なのです。




 現在のアフリカの米作は、
 このレベルだという。50年前の農器具。




 井波、専業農家の杉森ファームへ





 95歳の現役農家に、感嘆の声と拍手。




 24年前のもみすり機も現役。
 これもみなさん、びっくり。




 ことし購入のコンバイン。
 修理も、専業農家の彼女がやります。
 農業で自立していることに、拍手がわく。




 アフリカで、中国製の安い(現地では高い)
 農機具がどっと入り込む。
 しかし、すぐ故障。メンテはゼロ。
 アフリカ現地では悲惨とのこと。

 日本製は高いが結局、安くつく。
 しっかり納得してメモ。
 7か国の祖国へへ帰って、
 農業政策、技術指導をする立場の若者ばかり。
 南砺がお手本です。




 南砺の農業を学べたと、杉森家へ
 みなさんの謝辞。ありがとうございました。




 好天に恵まれ、閑乗寺から、
 散居村を一望に。みんなはしゃぐ。
 私だけが白い!顔をしているのが恥ずかしい。




 富山大学の文化人類学ゼミの皆さんが、
 べったりサポートしてくれています。
 アフリカ学の和崎洋一先生が
 開拓されたゼミです。
 先生とは40年前に出会いました。

 南砺には、いろんな宝ものがあります。













 

利賀のそばの収穫

2012年10月07日

       暑くもなし
       寒くもなし

       さわやかな利賀の風
       百瀬谷に
       赤まんまが揺れます。





 みんなで農作業の日in五箇山
 そばオーナー部会の
 収穫作業です。
 このプロジェクトの発祥の地です。





 ワタシも農作業のお手伝いです。




 手刈りと、コンバインでは
 若干収量が違うようです。
 しかし、
 機械は10人以上の威力を
 発揮するわけだし。

 できれば、
 利賀在来種のソバを蒔いてみたい。
 丸い小粒だけれど、ずっしり重く
 甘みがあるそうです。

 また、利賀在来の青かぶらも
 残っているとの話も聞きました。
 上平地区の五箇山かぶらが復活、 
 いま注目され、大人気があるように、
 このご当地野菜も、 
 普及できないものでしょうか。
 すごく甘いのだそうです。

 足元の原石を磨いてみたい。
 
 


 



宿根そば

2012年10月08日


      いまごろになって
      宿根そばの花
      瞑想の郷からいただいて
      もう20年になる。

      葉と茎は乾燥させて
      南蟹谷産野草茶として
      製品になっている。
      ルチンの含有度が
      普通そばの200倍。
      ときどき愛飲。
      毛細血管を丈夫にする。




      現在の血圧が65−125と
      ずっと安定しているのも
      このおかげかも。

      韃靼そばが人気だったが、
      その2倍もある。




 きょうの朝日新聞全国版で
 家庭欄に、
 素人そば打ち名人の紹介。

 9000人もいる、有段者のこと。
 全麺協のルーツは南砺市。
 利賀村の名前が
 出てこないのは寂しい。




     利賀村での最高段位認定会


中国のプロパガンダ

2012年10月08日


       何とも好かれない、
       この毒々しさ。

       ジョロウグモは
       この季節、急に色づく。
       巨大になる。

       網の上に雄を囲う。

       雌は食べ物の残りを
       雄におすそ分けする。

       巨大な雌が食事中の隙に
       それっと乗っかかる。
       あとは、哀れ、エサに。

       結局のところ卵の栄養になる。
       命の連鎖?
       ま、男とはそんな宿命。





 どうにも好きになれない、
 見え見えの中国のプロパガンダ。
 今に始まったわけではない。

 古代ギリシャやローマでは、
 修辞学として必須な技術であった。
 
 レーニンは、宣伝と扇動を
 巧みに使い分けて革命を成功させる。
 
 権力を握ったナチス・ドイツの
 ゲッペルス宣伝相はその後、
 プロパガンダの教科書になった。

 アドルフ・ヒットラーの凄いところは、
 ラジオのホットなメッセージを
 知り尽くしていて、
 ドイツ国民を合法的に熱狂させたこと。
 その結果は言うまでもない。
 東条英機も演説の名手だった。

 いまで言う、つい言った―や
 殖え数ブックとおなじ。
 小泉首相のように、かっこいい単語を
 連発して熱狂させた経歴がある。

 日本も「鬼畜米英」と、
 国民にアピールした時代があった。
 贅沢は敵→ぜいたくはステキと
 まぜっかえしたことも。

 北朝鮮、ロシアなど独裁国は
 プロパガンダに執心。
 国民の強烈な不満をそらして、
 権力を維持しようとする歴史。
 でも、時代遅れの泥臭さ。
 でも、あなどれないし。

 権威を背景にしたがり、
 民意をあおる。大阪にも約一名。 
 
 プロパガンダの巧妙さでは
 トップは実はアメリカ。  
 大統領選挙を見ればわかる。
 有能なスピーチライターや、
 情報操作のプロが脇を固める。

 日本は、うぶですなあ。

 SNSなどの、情報化社会の
 急激な進展は、わずかな費用で
 プロパガンダを容易にする危険に
 満ちているようだ。

 いやだねえ。

 ノーベル賞受賞が救い。

 
 

サンキョソンが世界共通語に?

2012年10月10日

       2週間にわたる、
       JICAの委託事業の
       アフリカ青年農業研修会が
       無事終了した。

       なかでも、
       南砺市の杉森農場の
       散居村が話題に。

       「ヤシキリン」
       「サンキョソン」
       7か国の代表が口々に。

  



 限られた農地を家の周囲に集約し、
 効率よく作業する散居村。

 南砺では、当り前だが
 世界では極めて珍しい風景。




 環境にやさしい、
 循環型農業の手本として、
 世界共通語
 (いまは、アフリカ諸国)として
 定着するかもしれない。




 お別れ会で
 乾杯の音頭を杉森さんに。
 みなさんの人気の的。
 
 95歳のおばあちゃんの話が、
 アフリカの皆さんが口々に。
 南砺の農家の姿が、
 強烈な印象だったようだ。

 みどりの里。なんと

 世界が注目する。



富山のJAはすばらしい!

2012年10月11日


      中国や欧米の国歌は軍歌。
      日本の君が代はやさしい。
      日の丸は、アジア近隣国では
      憎悪のシンボル。
      アジア全体では親日が
      圧倒的である。

      しかし、このアフリカでは
      あこがれの国の
      シンボル。
      この温度差は大きい。




 この9日に、まる1日アフリカの
 研修生の報告会を聞く。
 JICA北陸の友部支部長から19人に
 修了証を手渡される。
 アフリカの未来をになう幹部候補生たち。
 すっかり、利賀、井波、富山、日本の
 ファンになって帰国する。




 7カ国共通の報告で、
 
 日本のJAはすばらしい!

 意外だった。
 営農指導、集荷、流通、販売、加工、
 ブランド化や直売システム。
 肥料や農機具購買まで
 一通り、見学してもらったが、
 なかでも早朝の中央卸売場見学が
 ショックだったようだ。

 共済、金融までは手がまわらず。




 組合のシステムなどに質問が集中。
 帰国して、各国の
 農業振興のモデルにしたいと。

 さらに、営農組合、個人農家なども
 比較して多様な農業経営も
 見学して理解しているが、
 日本の戦前、そして昭和20年代の
 日本のノーキョ―の姿のような、
 本質論が、フリータイムや
 宿のホテルなどで議論されたらしい。
 富山で、アフリカ各国どうしの
 営農についてのフォーラムの様相である。
 

 両者に精通している、JICAの
 リーダーから、
 帰国しても、上から目線で指導は
 ゼッタイ失敗するぞ。
 農民と、じっくり汗を流して
 ともに歩むことだ。

 日本の成熟したJAにも
 課題が多いことも。うのみにするなとも。
 この場に、JAさんも
 居てほしかった気がする。

 JAの原点について評価は高かった。




 彼らが、ショックを受けたのは、
 実は、アフリカ諸国では、
 農産物は、ずっと、
 バザールで流通してきた歴史がある。
 価格がバラバラで困っているとも。

 つまり、日本で最近活況の
 朝市や直売市、インナーショップ。
 皮肉なことに、
 アフリカと日本は逆の現象。

 なぜ、顔の見える市場か。

 それは中国などの安くて安全性に
 問題のある農産物輸入の急増が
 日本で問題になっているのだと
 説明したら、
 食料自給、安全、そして
 食料安保のことは共通認識だった。


 やっぱり、
 日本の農業関係者に
 聞いてほしかったなあ。
 県の農政の若手は、
 しっかり学習されていた。








 くわしくは、長崎喜一氏の
 夢創塾ブログでどうぞ

http://blog.nsk.ne.jp/nagasaki/index.html







100年前の、もうひとつの南砺市

2012年10月12日


       五箇山でタネを採取。
       庭に蒔いたら、
       巨大なアザミに。
       人間の背丈に近い。
       タテヤマアザミの仲間。
       アザミの茎の煮物は
       最高の山菜。 




 100年前の富山市。
 井波、福光、五箇山、砺波などの
 出身者が、ふるさとをしのんで、
 「砺波ふるさと会」が作られた。

 私が富山市で職を得たのが19歳。
 呉東の県都、富山市。
 進取の気性といえば聞こえがいいが、
 すべてが荒っぽい土地柄。

 なんまんだぶつの
 おだやかな、南砺地方出身者は、
 ひたすら、コツコツと働きつづけて、
 信頼を得て、身を立てる。
 だが、異郷のような地で苦労する。

 いつも、踏み台にされるのだ。

 


 富山市総曲輪のトップの洋装店主や
 複写専業の企業、木材会社社長、
 テレビ局の幹部などいろいろ。

 戦前は、別院で年暮れに集い、
 報恩講をいとなんだ。
 そのあと、場を変えて御膳に。
 つまり、南砺の一番大切な信仰心を、
 この地で心のささえにし、絆とした。
 会場には、立派な、
 金モールの旗が飾られて。

 最年少で末席に加えてもらった。
 へえ〜この方も南砺出身だったんだ、と
 驚くことも多く、公私ともに、
 どれだけ助けてもらったことか。
 ふるさとを共有しているという、
 よしみは強い。




 年に一度、
 ふるさと訪問の企画があった。
 出来たばかりの瞑想の郷を案内したら、
 これが大好評だった。
 みんなで、ふるさとの発展する姿を
 確かめたいという気持ち。

 かっては、副知事まで同席するような、
 盛大な時期もあったという。
 まるで、南砺市の原点のような存在。

 100年前は、ふるさとは遠かった。
 今はクルマで1時間。
 報恩講も影が薄れ、高齢化もあり、
 10数年前に自然消滅した。


 そして2004年、
 11月1日。南砺市が生まれた。
 もうすぐ誕生日。

 

 


 

城端線をこんな車両が走らないかなあ

2012年10月12日


       県東部。
       今こんな電車、列車が
       走っている。




  地鉄電車もがんばる。




  富山港線も面目一新。




  電車の中。かっこいい。
  低床で乗りやすく、
  楽しい。




  おなじみ、かぼちゃ電車。
  ラッピングにはなじまない。




 散居村を走るのなら、
 中古でいいから、
 どこかに、もうちょっとましな
 車両がないものかなあ。




 富山市内環状線、
 セントラムは、
 乗りやすく、
 座りやすく、
 景色がよく、
 わざわざ遠回りでも
 乗りたくなる。

 県外の観光客や、
 撮り鉄が撮影する定番。
 乗っていて、
 カメラを向けられても、
 悪い気はしないから不思議。







これまでの道、これからの道

2012年10月13日

        滑川市は、
        生涯学習のモデル地区。
        福寿大学の
        開校45周年記念式典。

        元気で熱心な
        平均年齢70歳の面々
        200人が集う。

        最近の40〜50代よりも
        この65歳前後の人たちのほうが、
        体力があると言われる。

        クルマ依存が大きいからと、
        お医者さんの話。        
       



 偉い人たちの挨拶、日本の童謡リサイタルや、
 合唱団の公演。そして記念講演。

 「富山に文化の種をまいた
  棟方志功―立山に魅せられて―」

 南砺市のPRをかねて。




 棟方志功も、大伴家持も開眼。
 立山連峰を遠望すれば、なんといっても剱岳。
 上市よりも、滑川がよく見える。
 みなさん、うんうん。
 
 東日本大震災の100倍。
 戦災をかいくぐって、生き延びた、
 この人たち。
 富山大空襲も体験された人も多い。

 戦後、ひもじいなかで、
 ひたむきに、子や孫のために
 がんばって、
 いまの日本を作った人たちばかり。

 それが、こんどの災害。
 隣国とのあつれき。
 政治の右傾化。
 
 高齢者は、
 粗大ゴミ収集日待ちみたいな扱い。
 ねえ、私ら、なんか悪いことしたがけ?
 うん、うん
 200人の4分の3は女性。




 95年前に、
 この地では、連日の米価高騰に、
 悲鳴を上げた女性たちが米屋へ哀願。
 米くれ、いうとるがでない。
 安くしてくれ、船に積み込まないでくれ。
 おらちゃ死ぬ。
 子どもを育てれんさかい。

 そしたら「ごとむけ」との
 売り言葉に買い言葉。
 
 県東部では、ごとむく:いい死に方でない。
 ごとむけ、は最悪の侮蔑の方言である。
 あっというまに、この4文字が
 3000人の騒動になった。
 さらに、水橋、魚津、大阪、東京へ
 野火のように。

 時の内閣は総辞職。
 地域のことばの力は強い。
 「ごとむけ」にみなさんの祖母たちが
 反発したことが、世の中を動かした。

 さらに、普通選挙運動も、ここが発祥の地。
 
 さらに、さらに
 「蜂の一刺し」で田中内閣を
 ひっくり返したのも滑川の女性。

 あんたらち、そんなに内閣を
 倒してばかりおるのなら、
 自民党の谷垣さんも勉強にくれば良かったのに。
 会場、大笑い。

 この1年半の鬱々とした気分。
 それを、発想を変えて、
 次世代へ、何を遺し、伝えるか、
 それをみんなで学びましょうということに。
 お互いに拍手。

 蛇足:滑川市は神社の絵馬の宝庫で、全国から
 注目。村ごとの美術館のようなもの。富山写真語
 万華鏡240号「滑川の絵馬」を写真家のご厚意で
 みなさんに贈呈。
 その2:11月に、富山大学で、全国の方言学会。

 
 
 







 

くだらん話

2012年10月14日


       日曜日。
       重労働で汗を流す。


       ちょっと美味しい、
       安物の
       赤ワインが効く。


       で、
       猪野ちゃんのブログ
       コメントに落書きしていたら、
       ほめられて、
       くだらん話に。 




 くだはらに効く、
 赤玉はら薬。効きます。
 アスナオールではなくて、
 すぐ治る。
 ね、草ピーさん。

 右側の古いパッケージ。
 その前、100年前は、木版刷り。
 ほとんど同じデザインでした。

 16歳の時に、センセイから、
 君、これを現代風に
 デザインしてみなさい。
 ただし、100年間も、
 全国津々浦々、山の中の一軒家まで、
 このイメージで売れていたから、
 極端に変えてはいけない。

 それで、ひらめいて、
 2日間で仕上げたのが、
 現在のパッケージです。

 もう50年も、
 くだらん話を止める特効薬に。
 霞が関の人たちに飲ませたい。

 でも、いのちゃんの
 くだらん話はぜひ続けてください。




 富山空港では、こんな
 ストラップを売っていました。
 愛用しています。
 くだらんことでも、大事にしたいため。
 


 蛇足のくだらん薀蓄:
 イタリアのルネッサンスは、フィレンツエ、
 巨大富豪のメディチ家がスポンサー。
 その家業は、薬種問屋。

 その家紋のエンブレムが
 赤玉6個入れたデザインの紋章。
 デッカイ看板が、
 本家ビルに掲げられています。

まじめな話

2012年10月15日
        水橋、滑川は
        300年前から
        売薬さんの町。




 旧水橋商工会、現富山市北商工会
 役員のKさんは、
 岩手県石巻市など、岩手県の
 海岸一帯が掛場。
 つまり配置薬のお得意さんが多い。

 大震災、大津波で、
 置き薬の箱はみな流された。
 住民は、みな避難所へ。

 Kさんの自宅へ悲痛な電話がかかる。
 「あの赤玉はら薬、いますぐ欲しい!」
 何本も殺到した。




 避難所での深刻なことは「くだりはら」
 食事は、食べつけない非常食。
 インスタント物。
 お年寄りはみな下痢で、
 どんどん、体力を失う。
 ストレスも加わって。
 命にかかわる状態になったという。

 非常時。緊急手配で、事なきを得た。

 とやまの、赤玉はらぐすり。
 和漢生薬製剤で、
 ゲンノショウコ、オウレン、オウバク
 センブリ、ヨウバイヒ、動物胆
 そしてロートエキスなどが主成分。
 伝統の和漢薬である。
 お腹にもやさしい。


 50年前と変わらないデザイン。
 100年前と変わらない処方。
 それが安心感につながり、
 どれだけ多くの被災者を助けたことか。

 とやまの先人たちが、
 300年間も足で歩いて、
 どんな人にも届けた命のくすり。
 信頼という、
 その絆は強い。

 古いデザイン。
 古いブランド。
 変えないことの価値もある。

 

 



訃報 利賀のからくり爺さん

2012年10月15日


    利賀村・上畠の
    中谷仁太郎さんが亡くなった。


      木挽きのモデルはご自身である。

 文化出版局の季刊「銀花」は
 日本のホンモノを紹介し続けた。
 古書店で、高く売れる唯一の高級雑誌だった。

 27年前に、中谷さんを取材に、
 女性編集長と写真家が利賀村へ。





         銀花64号の特集より

 からくり玩具づくりの話。
 山仕事のいでたちが、若々しい。

 著名な写真家は、利賀村に感動。
 全国に南砺の木の文化を発信。




 「昔は出稼ぎに行くお父さんを、
  峠まで見送って、泣きながら家へ帰ったものだけれど、  
  今は一年中一緒。
  嫁にも孫にも恵まれて、
  今がいちばん幸せ」
 奥さんの若子さんへのインタビュー。

 家族を養うため、九州の炭鉱の
 地下深く、弁当も立ったまま食べた。
 当時は、村全体がそうだった。

 帰郷して山仕事で、飛騨までやっぱり出稼ぎ。
 チェンソーの振動で白蝋病に。
 山の雑木もすべて知り尽くしている、
 器用な腕で、からくり玩具を。
 出稼ぎはなくなった。

 しかし、利賀の冬の寒さは堪える。




 ことしの春祭り。
 まだお元気だった。

 つれあいが、おじいちゃんファンで、
 絵本を描きはじめ
 ほぼ仕上がったというのに
 お見せできずじまいなのが
 悔やまれる。

 ご冥福をお祈りいたます。


  





最強の富山ブランド(追補)

2012年10月16日

       富山城址公園は、
       新幹線時代を見越して、
       整備がすすむ。

       お城に向かって立つ、
       この銅像。
       2代藩主、前田正甫(まさとし)公。




 富山市の郊外あちこちに、
 大きな建造物建築工事が急ピッチですすむ。
 みな製薬メーカー、関連企業。
 ジェネリック景気?

 30年ほど前に、富山の200社におよぶ
 製薬メーカーに厳しい品質管理の
 網がかぶせられて、廃業、統合、
 大変な出血を伴いながら先行投資した。
 いま、それが大いに役立っている。

 富山県の経済界をいま引っ張り、
 スイス、インド、アジア、モンゴル等と
 急激な国際化もすすんでいる。
 いまどき、元気いっぱいの富山の業界。

 富山城址のお城の郷土博物館で、
 この300年前の藩主の企画展示中。

 テーマは、
 最強の、300年のブランド、
 くすりの富山を創りあげたこの人の
 転宗の騒動である。

 前田家は、高岡の瑞龍寺のように、
 禅宗であった。
 それが、突如日蓮宗、法華経に。
 城下はもとより、江戸藩邸も大騒動に。

 とやまの薬は、岡山のご典医だった
 万代常閑の「反魂丹」の処方を
 松井屋が伝授を受けて、富山ブランドにした。

 ところが、この万代家は
 日蓮宗のもっとも過激な「不受布施派」
 我が国の切支丹よりも
 強烈な弾圧を受けている。

 貧しい人々にも、どんな辺境の家にも、
 くすりを届ける。350年前は、
 革命的な発想であった。
 代金は使われた分だけ後で受け取る。

 その背景には、宗教があっのではないか。
 どこか、一向宗にも通じる。

 事実、真宗門徒になっても、
 旅に出た配置員は懐中仏と同行していた。
 仏様と一緒だから、山賊も出るような
 淋しい夜の山道も安心できたという。
 (小説家 遠藤和子さん)
 この世界的なシステムの精神は、
 篤い法華経信仰と無関係ではないだろう。
 富山の先人、資源もないのに、
 ソフトを学び、品質管理を徹底して、
 信頼で販路を広げる。
 日本の近代化の原型がある。

 大正期アメリカのある経済学者は、
 このシステムに驚愕した。
 コカコーラは、
 このとき富山売薬を研究して今日がある。

 八尾和紙、北前船の海運、
 富山の容器メーカー、印刷会社
 化学メーカーの大半がくすり産業から。
 北陸電力も、インテックもアルミ産業も、
 北陸銀行さえもルーツは、
 みな、薬業の情報と資金力、そして、
 この銅像の主の信心のおかげ。

 富山市に電力、銀行、IT産業の
 本社があるのは、そのため。
 と、先刻ご存じのウンチク。
 
 
 


ささやかな、息抜き

2012年10月17日


       何でも手に入るような
       便利で豊かな時代。

       お金があればですが。

       ときどき、
       ささやかな
       安上がりの楽しみ。




 大昔、富山市に名画座があった。
 そして、洋画封切館の、たから劇場。
 22歳ごろ、失業時代には、ここの、
 映画看板のデザインをしていた。
 ウエストサイド物語
 戦争と平和
 ベンハ―なども。
 顔パスで観られるのがうれしかった。

 映画新聞の安い広告デザイン料で
 糊口を凌いだことも。

 いま、富山市総曲輪通りに、
 もとウイズシネマ、
 いま、フォルツ総曲輪。

 アメリカ映画に見慣れていると、
 世界の受賞歴が多い、
 こういう映画が新鮮で、
 ささやかな息抜きになる。
 シニア料金なのがありがたい。

 北朝鮮の脱北者が韓国で暮らす。
 北でも、南でも生きていけない
 やり場のない現実。

 そして、
 フランスの元労働組合の幹部。
 これも、やりきれないリストラ。

 どちらも、制作費はない。
 いま流行りの韓流ドラマとほど遠い。
 あこがれの、芸術文化の、
 南フランスはプロヴァンスの
 リゾート地とは思えないリアルな物語。

 ふつうなら、
 都会地の名画座でも採算がとれない。
 そんな映画は、
 世界の賞を総なめにしている。

 どうして、こういう映画が
 製作できたのかを知りたくて、
 プログラムはかならず求める。

 楽しむというより、
 作る側の視点で映画を観てしまう
 悲しい性(さが)である。


 気の遠くなるような資金集めと、
 映画製作の現場を想像すれば、
 1000円は実に安い。
 
 どこか世界とつながっている。
 いま、を共感する、ささやかなぜいたく。
 劇場、だからこその、
 終演後の外気と陽光がまぶしい。
 
 

北陸線・城端線に快速を

2012年10月18日

     庭のアケビ。
     自家受粉しないから、
     別の株から
     授粉してやった。

     きのうから、
     ぱっくり。




     ことしは、
     異常気象だったせいか、
     いつもの3倍。
     ぼらぼらとぶら下がる。

 



 北陸新幹線開業で、
 並行在来線は
 第3セクターに移管。
 不便になる。高くなる。
 関西行きが面倒になる。
 その通り。

 城端線は、高くなる。
 赤字路線は、廃線に。

 そんな大合唱。

 先日、新大阪から、姫路へ。
 さらにローカル線に。
 東京で、ちょっと郊外都市へ。
 帰りの東京駅への時間も気になる。

 そんなとき、
 「快速」電車が、3本に1本走っている。

 沿線住民も、遠来の乗客も
 まったく不便はない。

 つまり、
 
 「快速」を走らせれば済むこと。
 
 

 大都市圏では当たり前なのに、
 やれ不便になる。高くなる?

 北陸線、城端線。
 通勤通学のピーク時や、
 住民の移動に、波がある。
 駅によって、観光客も含めた
 乗客数もほぼ決まっている。

 2本は普通。1本は快速で、
 大勢にたいした影響はない。
 連結数を減らして本数をふやす。
 関西へ行くにも、
 特急とそれほど差はない。

 ただ、大都市圏と違うのが
 クルマ優先社会が定着していること。
 交通弱者が主な乗客のため、
 公共交通に対して発言力が弱い。

 北陸新幹線は、いいきっかけ。

 富山市の森市長は、
 住民の足を守るために、
 そのすきまを埋めようと全国の 
 モデルを作り上げた。

 公共交通の利活用の
 可能性はある。
 精神論では解決しない。




秋の日に

2012年10月20日
     うまく出来たと、思ったら最後に
     画像が飛んだ!書き直し。とほほ。


     ミゾソバ。
     ウシノヒタイとも。
     葉っぱの形から。
 




 美術館の庭にも紅葉が。
 秋の陽ざしに、いざなわれるように、
 向井潤吉展に、お客さま

 毎回、100人にアンケートを
 書いていただいて、
 次回の企画の参考にしている。

 意外と、市外から、男性の比率が多い。
 夫婦づれでゆったり、が目立つ。
 駐車の車種もいつもとちがう。

 感想も好意的で、安いとも。




 そんな、お客さまで、
 なつかしい方が。
 もとNHKとやまの局長ご夫妻。
 ニューヨークの制作会社社長を
 6年間終えて帰郷。
 親しい世田谷美術館の分館
 向井潤吉アトリエ館のかたも。




 実は、この常設展示場の
 棟方志功の油絵の大作は、この方が
 局長室に飾って置くのはいけないと、
 美術館に寄託された方。

 それが日経の美術特集に
 2ページ、3回と大きく特集され、
 さらに、日本山岳会の会報最近号に、
 山岳史の重鎮、五十嶋一晃さんが
 30ページもの長文の論文として掲載された。
 全国の棟方ファンが注目している。





 各方面のジャーナリストの
 先輩の皆さんの連携プレーで、
 南砺市のホンモノの至宝を評価し、
 多くの支援を受けて今日がある。
 感謝の日でした。





 




 向井潤吉展は28日(日)まで。
 企画展開催中は無休


 





 

あま〜い五箇山かぶら(追加)

2012年10月21日
 

        五箇山の道端で。
        冬支度始まる。

        ひどい奴がいて、むしろを丸めて、
        クルマのトランクに放り込んで
        逃げる。許せん。
        前にそんな話を聞いた。





 あま〜い。
 かじるとジューシイーなのだ。
 雪をかぶると特に甘みが増す。
 五箇山かぶら、ならでは。




 みんなで農作業の日in五箇山
 9オーナー、50人。
 みんなで80人ぐらいが参加。
 ほとんど常連で、すっかり仲よくなった。
 心づくしの新米おにぎりとトン汁が
 あたたかい。

  地元市議候補さんも、激励に。




 幻の、五箇山かぶら
 奇跡の再生です。
 この色の鮮やかさは、
 飛騨紅を超える。




 高岡の保育園児の畑も。




 第一回からのリピーターです。
 子どもは土いじりが大好きです。
 そして、
 小さな子どもでも
 収穫ができる。




 秋の日に、
 この色はすごい。

 オーナーは14組。この日は9組参加。
 保育園は別の日に。
 シート持参で一本も残さず、
 収穫して帰られるとのこと。
 気持ちいい。(耳が痛い)
 食育に熱心な、園長さんがおられます。
 うんちの話から食育が始まるとのこと。
 シンポジュウムで紹介受けました。




 この秋、種まきで余ったのをもらい、
 小さな袋に小分けして20人に配った。
 それが、みんな大きく育って、
 収穫を楽しみにされ、
 観察記録画像やってる人まで。

 寒暖の差の大きい五箇山でないと、
 この色、味は出ないと断ってはいるが、
 予想外の人気です。
 来年から、種の商品化してみようか。












五箇山のコーリャク隊

2012年10月23日


       寒くなると、
       熱燗ですねえ♪




       サクサクと、甘い。
       五箇山かぶら。

       実は、
       筑波大学大学院生の
       みなさんのおかげです。




 上平の楮地区。岐阜県境の集落。
 戦後、米作りのために石積みの棚田を。
 それが、耕作放棄地(耕作断念地)に。
 石垣も崩れた。草ぼうぼう。

 筑波大学大学院の黒田先生のゼミは、
 世界遺産専攻。
 ずっと、この地域を青空教室に。
 ことしは、和紙の楮畑の草刈り、
 萱場の重労働。
 そして、楮地区の2年前から、
 学生たちと住民で、
 崩れた石垣を修復した棚田で、
 炎天下の草刈り作業。

 そのあとをうけて、
 みんなで農作業の日in五箇山の
 オーナーのみなさんが、
 五箇山かぶらを育てた。

 大学教授も含めて15人が
 7月に3日間のハードな実習。
 ことしは、韓国や中国の留学生も多い。
 ほとんどが女性。




 このほど、立派な報告書が届いた。
 学生たちは、教室で学んだ、
 世界遺産の価値、魅力とは違う、
 住民とともに内側から学んだ感動が、
 いきいきとしてつづられている。

 なによりも、地元の人たちとの
 生きた交流の話が半分も。
 つまり、地元の皆さんが先生なのです。

 もう何年も、通って、
 すっかり気分は五箇山の住人。

 博士号を取得して、
 全国や中国、韓国で活躍する、
 若い人たちにとって、
 五箇山で暮らす人々は永遠に
 こころの恩師となるでしょう。

 NPO法人グリーンツーリズムとやまも、
 ずっと活動資金を助成しています。


 黒田先生のブログ
 http://blog.livedoor.jp/kuroda_seminar-culturallandscape/archives/12887649.html


城端駅で

2012年10月24日


       城端駅の
       駅前に設置された、
       フラワースタンド。




       駅舎周辺に、
       バランスよく配置。
       この夏の猛暑。
       こまめに
       水やりの手入れがされていて、
       秋の風情に。



       クリックしてみてください

 越中山田駅。
 小学生が2人、
 踏切近くへ自転車で。

 仲よく、城端線に
 手を振る。
 土曜日とあって、
 観光客も多い。

 おお〜という声とともに、
 乗客たちも手を振って、
 応えていた。
 写真、間に合わず。残念。

 城端駅の花壇。
 子どもたち。


 何でもないようで、
 日常の非日常。 
 ほっとする、うれしいひととき。
 


光瑤さんの大作屏風を寄贈

2012年10月24日


 紅葉に誘われてか、
 向井潤吉展、常設展へ
 団体さんが増えている。
 きょうだけで、6組も。
 28日(日)までです。

 芸術の秋にふさわしい、
 うれしい話。




 兵庫県姫路市にお住まいの
 経済人、前田 剛ご夫妻から、
 美術館の前館長・佐々木光三さんへ、
 石崎光瑤の大作屏風を
 南砺市へ寄贈したい旨の手紙。

 15年前の
 生誕50周年展に出品いただき、
 以来公開されたことがない。
 さっそくお宅へ伺う。
 高齢でもあり、ぜひ、
 見栄えのする環境で展示いただければ、
 との御意向だった。




 「鶴図」は、光瑤の30歳ころの、
 瑞々しい生命感のあふれた傑作。
 画面構成のダイナミックさ、
 保存状態の良さ、
 裏箔を施した、上品さなど、
 初めて目にした大作である。




 副館長が美術品搬送の専用車で、
 遠路受け取りに。
 このほど、常設展示場に収まった。




 マスコミ発表で、初めて披露。
 常設でいつでも見られる。
 見事さに改めて見とれる。
 名品が名品を呼ぶとはこのことだろう。

 南砺の至宝がまた増えた。




 






一票の重み

2012年10月26日
    
      中国との軋轢の元凶が、
      知事職を中途退場して、
      責任を取る気配もない。
      国政をさらに右傾化へ。
      こういうふうに
      歳はとりたくない。

      最高裁が、国に対して
      憲法違反と断じた、
      一票の格差。
      5倍もの差をそのままに。

      南砺の大選挙区。
      こちらは優等生。
      一票の重さは同じ。

      しかし、小選挙区から
      いきなりの大選挙区へ。
      五箇山あっての南砺市。
      そして、
      平場や町部と環境が違い過ぎる。
      中選挙区制などの、
      ワンクッションがあっても
      良かったのではと
      素朴に思う。

      マニュフェストは死語。
      でも、政策論争は大切。
      砺波市長選は、わかりやすい。

      新南砺市を立ち上げて
      南砺市はひとつ、と
      こころを砕かれ、
      苦労された、あの人、この方の
      姿が見えないのが淋しい。




 市外から、6組の団体さんが交雑。
 しっとりと、日本の失われた、
 民家のふるさとの風景をなつかしむ。

 棟方志功の油絵の立山、
 石崎光瑤の屏風の大作。
 解説にも、
 つい力が入る。



        許可をいただいて撮影

 じょうはな織館
 岸静香さんのお誘いで、
 「ひまわりの会展」

 声高に主張しないけれど、
 ささやきかけてくる、
 12人の作家の佳品がうれしい。
 11月18日(日)まで。




 城端のまち歩きで楽しいのは
 こういう小さな空間で、
 ギャラリーを企画されている人の存在。




 つづらこみちもうれしい。
 東町へ抜けられます。
 再開発の際の気配りから。





 こちらも負けていない。
 福光、味噌屋町の、
 日本一細い小路。

 本来、非常時用に、至るところに
 こんな小路があったという。
 いまどき貴重な文化財。

 まち歩きは面白い。

 はて、選挙とは関係ない話に。






 









77歳の青春

2012年10月26日


       青空に。爆音。
       とっさに、一枚。
       最近のコンパクトカメラ。
       やたらと多い画素数が、
       威力を発揮する。

       画面では米粒大。

       トリミングして、
       伸ばしてみても、
       ちゃんと写っている。
       空が高い日。 




       25日に、
       福光中学生へ、77歳の
       谷中定吉さんが講演。
       学校と、
       太美山自治振興会の
       協働企画。




 50年前に、
 ダムで沈んだ村、刀利。
 15歳で、代用教員として、
 刀利分校に赴任された、
 山崎兵蔵先生。
 そして55年間、生涯を
 僻地の教育と振興に捧げられた。




 谷中さんは、
 山崎先生の教え子。
 会社経営者から、
 現在はスーパーの現場で
 汗を流しつつ、
 未来へのメッセージ・プロジェクトの 
 中核として、活躍中。

 いつも夢を抱き
 刀利のふるさとを抱き、
 恩師の教えを実践。

 いつも青春、を感じる方。

 刀利地区は、50年前に全員離村。
 しかし、本校のあった、
 自治振興会が中心になって、
 いまも絆を深めている。

 自分たちだけでなく、
 次世代へ、メッセージを発信し続ける。
 誰に言われるでもなく、
 みんなが、できることで参画する。
 山崎先生の心が生き続けているよう。
 秋空の、高い青空のように。

 次は、東京から
 全国、世界へ発信する準備が
 すすめられている。


 

必勝―祈当選

2012年10月27日

       松村謙三記念館
       日中友好の
       最初に井戸を掘った方。

       立派な記念館には、
       友好の足跡を象徴する、
       書画類が
       大量に所蔵されている。
       
       空調も機能せず、
       普段は施錠。




 善徳寺さんのように、
 ここでもお天気を見計らって虫干し。

 


 名著「日本農業恐慌論」
 早稲田大学の卒業論文であり、
 110年前に書かれた世界市場の分析と
 提言は、今の日本そのまま警鐘となる。

 先日、高名な政治評論家が
 お忍びで調査に見えたほど。




 松村先生は、漢籍の素養だけでなく、
 揮毫でも超一流のかた。
 町長選挙のための、
 檄文の現物が大切に保存されていた。
 力強い、達筆で気迫がこもる。
 芸術作品の域。遊びがあり、
 どこか、棟方志功の書に通じる。

 選挙の神さまとして、
 全国の仲間から羨ましがられた。
 国政選挙期間中は老骨に鞭打ちながら、
 同志の応援で全国遊説に駆け巡る。
 帰郷されるのは、
 投票日前夜が常だった。
 
 「松村は健在であります」
 演説会場でのその一声で、支持者は
 ほろほろと涙を流した。
 祖父もそのひとり。

 選挙区の呉西のいたるところで、
 そのような光景が。
 候補と選挙民が一心同体だった。

 東京で、タクシーに乗ると、
 「どちらから?」「とやま」
 「えらい政治家の出られたところですね」
 そんな話は、今でも聞く。






 記念館庭には、先生の胸像。
 そして、その石膏原型が、
 館内に残されている。
 普通には、銅像に吹いたら廃棄される。
 捨てるに忍びない。

 彫刻家、松村秀太郎さんの
 最晩年の傑作でもある。


 
 きょう28日。
 好評の「向井潤吉展」最終日です。
 午後4時まで在席。
 投票のついでにどうぞ。






 

夏野さんという人

2012年10月29日


      金沢のホテルで、
      北陸経済連合会の
      広報観光委員会。

      広域連携プロジェクトチームの
      情報交換会。

      行政は、事情も環境の違いもあり、
      北陸の民間実務者で構成、
      編集者や地域おこしの達人たち。
      もう3年は、協働作業。
      北陸新幹線開業についても、
      策を練る。




      高邁な戦略を議論している
      わけではない。

      首都圏、全国へ、
      面白い情報を流そうよ、と
      いう程度のこと。

      「AKB北陸」 ん?

      甘えび、カニ、ブリで
      客をいかに釣るか。
      いのちゃん先生の
      ご指導を仰ぎたい内容で、
      そんな話で盛り上がる。
      白エビ、越前蟹も含まれる。




 すみません。本題でした。

 夏野さんの
 ご当選おめでとうございます。


 7:3と踏んでいましたが、
 もっと大差で。

 かって、ゆるやかな勉強会。
 つまりパーテイという飲み会。
 亡くなったけど、池田弥三郎さんや、
 池田満寿夫さんも。
 マスコミ以外は、各分野、会社から、
 一人だけお招きした。
 いつも40人くらいか。

 県庁の3000人の中からも一人だけ。
 お役人らしくないという理由で、
 みなさんが賛同したのが夏野さん。
 受付と会計をニコニコと。
 
 現在のままでは、
 いずれ副知事になっていたはず。
 なぜ?その決断の理由を
 いつの日か聞いてみたい。
 
 砺波市の泣き所は、
 観光と文化。
 チューリップ生産。
 商店街地盤沈下と空き家の増大。
 お手並みを拝見したい。

お疲れさまでした

2012年10月29日

       候補者はもちろん、
       支援者のみなさん、
       ご苦労さまでした。

       案じていた旧村も
       そろい踏みができ、
       地域のチカラ健在。

       密度の濃い選挙の
       試練が次なる市の
       展望のステップへ。




 金、土、日と
 南砺市でグリーンツーリズムの
 帰農塾・井波が開催。
 里芋掘り体験や、彫刻の町歩き。 
 全国から8人の参加者を迎え、
 20人前後の交流会。





 木彫りの里で汗を流し、
 みんなで収穫した里芋が、
 フレンチに早変わり。
 先日来、井波の特産の里芋が
 NHKで2度特集で全国放送されました。




 南砺の風土を体験することで、
 定住、半定住を促進するプロジェクトです。

 南砺らしさ、を土山地区で、
 地元の人たちと交流しながら、
 考えます。




 助っ人の講師は、
 久保尚文先生。富山の中世宗教史の
 第一人者でもあります。
 長年、県史編纂室で富山の中世史の
 空白を埋めてきた学者。
 なぜ、井波に瑞泉寺ができたのか。
 そのころの南砺地方の、
 経済活動の中心が、小矢部と庄川の
 水運であり、時宗勢力の
 拠点から真宗王国へ発展したこと、
 などなど、
 密度の濃い新鮮なお話でした。
 土山公民館が、お寺参りの雰囲気。

 人口減が著しい南砺で、
 新たな住民を増やしたい。
 それには、この土地の精神風土の奥深さ、
 土と親しみ、育てる。
 その成果をおしゃれに楽しむ。
 地元の皆さんとヒザ突き合わせて
 泊まり込みで語り合う。
 そんなシナリオがあってもいいかなと、
 企画してみました。


 愛知県からの女性参加者も多く、
 地元のみなさんとともに、
 この地の地下水脈を
 感じ取ってもらえたようです。


 



 


 

志賀町で

2012年10月30日

     ちょっと、ドキリ




     石川県の志賀町、
     文化会館で。



     第5回を迎える、
     
     全国こども版画
   コンクールin志賀
 

 かって、大田耕士という
 児童版画の指導者が活躍された。
 6年前に、志賀町の小学校の
 校長会に講師として呼ばれた。

 棟方志功と子どもたちの
 心の通う、交流のことをお話した。

 町のイメージアップを図りたい。
 子どもたちに夢を、と 
 この公募展は全国展開へ。
 毎年、審査会に協力している。




 しっかりした、版画協会もあり、
 津幡の著名な版画家の、
 谷内正遠さんも一緒。
 北陸銀行のポスターやCMでおなじみ。



      3歳児の特別賞版画

 子どもの発想はすばらしい、と
 棟方志功も、
 南砺市で指導しつつも、吸収していた。

 ことしの年末締め切りの
 南砺市年賀状版画コンクールには、
 志賀町のこどもたちも、
 大量入選することだろう。




 そして、雪あかり祭りの
 巨大紙風船の原画にも
 志賀町の子どもたちの、
 版画作品が登場するだろう。






 
   
作者 : 奥のほそみち

石崎光瑤に感動し、棟方志功に共鳴するお仕事です。運転しないから、人の行かない裏通りや、細い道をひたすら歩く。 そこで見つけた話を紹介したい。 雪吊を 終えたる樹々の 斜塔めく          あさぎり         

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