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なんと万華鏡

南砺市には、いろんな花が咲き、がんばっている人がいて、面白いことが起きています。

富山市の事情

2012年09月01日

        ウバユリが好きだ。
        林の斜面に、  
        どっしりと咲く。

        美術館前の通りに、
        秘密の場所(でもないか)
        密生して殖えている。




 花が咲くころ、葉が枯れる。葉がない。
 歯が無いから「姥百合」とは、
 牧野富太郎も推測しているが、
 ちょっと、可哀そう。
 子を育てる「乳母」説も有力である。





 春いちばんに、鮮やかな新芽。
 私は「大葉ユリ」だと思っている。
 春の使者はつやつやと、美しい。


 富山市は、ミュージアム戦争

 金沢に比して、県都富山市は
 新幹線を迎えるには、見るべきものがない。

 そこで、焦った結果が高志の国文学館
 突貫工事のミュージアムである。
 土の匂いが希薄のような気がする。

 さらに、旧大和跡地という一等地に、
 図書館とガラス美術館。
 後発だけに、それだけでは弱い。

 実は1年前から、
 密命を受けて(とは大げさな)
 中央通りに、ミレーと
 バルビゾンの画家たちの
 小さな美術館、というより「部屋」
 運営やコンセプト作りのアドバイス。

 その後、運営体制が整って、
 きょう1日、10時にオープンする。
 福光美術館のノウハウが
 こんなところに貢献したことになるのかも。
 ブータン展が役に立った。

 仲がいいとはいえない面々が、
 街の魅力、回遊性に力を合わせる。
 拙速なのも心配。

 ただ、気になるのは、
 富山市は、総合的なミュージアムを持たない。
 県立が3つもあるからと。

 結果として、人材が育っていない。
 いたけれども、みなリタイア。
 穴を埋めるのに時間がかかるだろう。

 ギャルリー・ミレーは
 運営次第では、全国区、いや世界でも
 話題になる大作が目玉となる。
 県立近代美術館の常設展示は
 国際級なのだが、孤立していた。
 これで、20世紀美術の成り立ちを補完する、
 小さいけれども、
 上質の美術館として、
 首都圏の観光客を満足させられよう。

 ミレーが、
 ウバユリのように、とやまの地に
 しっかり根を下ろしてほしいもの。
 
 

ムナカタとミレー

2012年09月01日

       富山市の中心部。
       中央通りは、
       大店、問屋などの
       いちばんの町(だった)
       北陸銀行の本店もある。

       大衆食堂の
       3階屋根裏部屋に
       数年間下宿したことも。

       今は、
       半分がシャッター。




 いちばん喜んだのは、この人。
 やあ、久しぶりと森富山市長。
 あっという街の賑わいの
 場が生まれたから。
 赤いリボンを付けさせられて、
 照れくさい。

 アーケードのど真ん中で、
 ギャルリ・ミレーの開会式。




 各界、ずらり。みなさん興奮状態だった。
 高木頭取のあいさつで、
 南砺市立福光美術館のアドバイスを
 紹介されて、面はゆい。

 小さくても、地域に根を張る。
 コレクションの魅力を柱にと。




 展示作品の解説は
 杉野県立近代美術館学芸員。

 この「羊の毛を刈る女」は
 163.8×113.0センチ。
 有名な「晩鐘」「種まく人」の
 倍以上の大作である。

 ごく一部の研究者しか知らない名品。

 ゴッホは、このミレーの絵をさかんに模写した。
 クールベの大作も話題になっている。
 バルビゾン村の画家たちが、
 印象派の作家に大きな影響を与えた。

 王侯貴族の肖像や、
 キリスト教の題材から解き放たれた、
 ミレーとその仲間たちの仕事は
 当時として革命的な出来事であった。

 教科書でしか見たことのない、
 ホンモノの魅力が
 ジワジワと全国へ、世界へ伝わるだろう。
 この上質な常設展が、
 首都圏のお客を呼ぶことになる。
 
 首都圏の人たちは眼が肥えている。
 ここでしか見られない作品に
 貪欲に迫る人たち。
 企画展にはあまり関心がない。
 その館の常設展が目的。
 欧米では当たり前のことであるが、
 日本の美術鑑賞が変なのです。

 ミレーは棟方志功の師の師

 ゴッホがいちばんあこがれたのが、
 ミレーの羊を刈る女。何点も模写。

 棟方志功がいちばんあこがれたのは、
 ゴッホでした。
 200年のつながりが、
 この町なかの小さな美術館で、
 出合うという奇跡。

 ゴッホがあれば3大巨匠が揃うことに。
 でも数百億円ではねえ。

 金沢の、21世紀美術館を
 しのぐのは時間の問題かも。
 美術作品は、いいもんだ。


 


 忙中閑あり。
 フォルツア総曲輪で映画を見る。
 マニアックな名画小劇場。

 「私が、生きる肌」は、
 スペインの世界的監督の
 アルモドバルの話題作。成人指定。

 なんとも、度肝を抜かれるような
 ドラマの展開で、
 気分はスッキリ。映画もいいもんだ。
  






増える「自死」

2012年09月03日

       このごろの、
       変なお天気。

       城端線で、
       見かけた暗雲。

       南砺にも、
       暗雲、であってほしくない。


 



 富山県は、全国より高齢化が
 10年はやく進行していると言われて、
 もう20年がたつ。(県の統計課)

 自殺も全国で23番位と平均だったが、
 昨年はワースト17番。
 なかでも、入善等に続いて、
 南砺市は3番目という。

 高齢者の万引き率も飛びぬけているとも。

 どこか病んでいる時代。

 自殺は、交通事故死の5倍
 まだまだ増えている。
 表に出ない数字もずいぶんあるという。
 (知り合いの消防幹部)
 
 昔の小さな職場で2人。ショックだった。
 仕事の仲間で4人も。ショック。
 ニュースになっていない。
 葬儀屋さんはもうからない。

 最近は高齢者が多く、
 20代、30代も増える。

 原因は、健康上の理由が多いが、
 金銭や、人間関係など、
 いくつもの要因がからんで
 一様ではない。
 どちらも人生に展望が無くなったとき。

 恥ずかしながら、
 10代、そういう
 鬱の状態で悩んだことも。

 自分の経験と、周囲も見渡してみて、
 ?孤立
 ?屈辱
 ?悲観
 結果として、真の友がいない。
 プライドが傷ついたとき、
 一気に心の病はとんでもないことに。

 南砺市は、特に
 高齢化率が高く、進行も早い。
 山間部の限界集落だけでなく、
 町の中心部でも確実に進む。

 かって、利賀村が
 イベントなどで全国に注目されたとき、
 お年寄りの表情が明るくなった。
 むらおこしの、
 うれしい面だったが。

 元気な高齢者が、
 その豊富な人生経験を
 活かすことなく、
 居場所がなくて、
 出番も少ない。
 県内あちこちの高齢者学級に 
 呼ばれるたびに痛感する。

 自分の存在感を発揮できる。
 そういう、やさしさが、
 求められている。

 日本一の真宗王国。
 お釈迦さまは、
 生老病死の4つの苦しみを救う教えを。
 今は最後の一つだけに
 家業として特化されていては困る。
 立派な、ご住職も
 たくさんおられるのに、
 もったいない。


 自分が、何かの役に立っている。
 そんな実感があれば、
 負のデータは、変わるのでは。




 ブログで拝見する、
 身内の、
 凛とした終末の生き方が、
 悲しいときなのに、
 どれだけ、
 周囲のお手本になっていることか。

 高齢者が、誇りを持って生きられる。
 地域の宝は子ども。
 地域のこころの柱はお年寄り。
 ブータンの田舎のように。

 そんな地域社会に、
 息子や娘は帰ってくるだろう。
 子をもやすだろう。
 
 9月10日は、
 世界自殺予防デー。



 

新幹線とグリーンツーリズム

2012年09月04日

       不謹慎なれど、
       会議終了宣言と同時に、
       議長席から
       そおっと撮影。
       小さいカメラは便利。




 正式な会議名
 富山県都市農山漁村交流協議会。
 平成15年3月に、
 全国で初めての
 グリーンツーリズムについての条例。
 会長を仰せ付かって9年。

 知事直轄の観光・地域振興局と
 農水部の戦略会議。
 委員の半分は、
 新幹線戦略とやま県民会議委員
 またはプロジェクト委員。
 どっか、みんな重なるので、
 この際、新幹線をテーマにしてみた。




 昨年度の報告では、
 南砺市・利賀村と武蔵野市との
 40年にわたる交流、
 上平の赤カブ、
 城端の田んぼの学校、
 道の駅福光の直売市、帰農塾、
 桂湖の森、などの紹介があり、
 なんと3分の1が
 南砺市の活動で、内心うれしかった。

 新幹線についての、
 熱い議論と報告、提言。
 夏野前局長は、砺波市長選挙のため
 退任されて、後任の局長が挨拶。
 知事の県政戦略部門の統括者である。
 課長など職員が熱心にメモしていた。
 少しだけ気分いい

 何もしなかったら、
 富山県は通過駅。
 そして、若い人は東京が日帰り生活圏。
 いま、長野がそうなっている。

 観光連盟からは、
 ニューツーリズムとして
 「教育体験旅行」を
 子どもから大学生までを対象に、
 取り組むのがいいと提言。
 ここでも南砺は優等生。

 森林組合長は、利賀のような、
 息の長い取り組みを。
 子どものうちから森に親しむのがいい。
 「新幹線だから、なんだちゅがか

 漁協の幹部。「米と魚だよ」

 小学校長会会長は、
 「山と海。立山と海が見えることは
 世界でも少ないフイールドだ」

 縦割り行政では間に合わない。
 横断的なプロジェクトを。

 共通していたのは、
 子どもの時からとやまの自然と、
 食文化、体験を
 「地域ぐるみできちんと」やるべき。
 コミュニテイがしっかり機能していなければ、
 地域の魅力は発信できないし、
 農家民宿など、受け入れがままならない。
 金沢にはかなわない。
 点から面へなどの発言があいついだ。

 それぞれの分野の、
 実務者・責任者どうしの
 本音の意見は
 評論家がいないから、すべて具体的。
 議長としてやりやすい。
 気もちのいい疲れ

朱鷺色

2012年09月06日

       コーラル・ピンク。
       珊瑚色に近い。
       日本人が好きな色のひとつ。
       朱鷺色の夕暮れは、
       一日の
       喧噪を忘れさせてくれる。




 アメリカは好きでないが、
 これは別格。
 世界で900万部。
 黄色い枠が目印で変わらない。
 ナショナルジオグラフィック誌
 124年前にアメリカで創刊された、
 地理学のカラフルな月刊誌で、
 エコ活動の人たちのバイブルでもある。
 日本語版は17年前。
 創刊号から愛読している。
 日本の「Newton」は、これをモデルに。




 届いた9月号は、
 富山県黒部市の「ひとりぼっちのトキ」
 この雑誌はアメリカで最初に
 カラー化しただけに、
 グラビアの美しさで定評がある。
 ネイチャーフォトの写真家は、
 このマガジンが目標。

 アメリカで創刊されたころは、 
 電話を発明した、
 グラハム・ベルがこのNPOの会長。
 財をなして、支援はずっと続く。
 ワシントンのホワイトハウスに並んで、
 同じ大きさの本部ビルがあり、
 国家の干渉は受け付けない。
 100年以上も。
 近年は、テレビ番組や、
 自然保護活動に支援している。

 それなのに、
 アメリカは京都議定書にサインしない。
 世界中の紛争地のルポはすごい。
 

 突然ですが

 ミニミニオフ会 

 9月7日(金)
 午前11:30〜午後1:30
 会場:井波瑞泉寺前・東山荘
 会費:ランチ代ていど。なりゆき。

 呼びかけ人:
 ほそみち、はれあたま、あさぎり

 ブロガーだけでなく、
 管理者関係、読者、どなたでも。
 かんたんな食事会です。
 初めての方、大歓迎。

 締切:きょう6日(木)夜8時ぐらい。
 このブログにご連絡ください。
 


吉田爺の野菜

2012年09月06日

       どっさり、
       新鮮野菜が届く。
       湧々農場からの
       直行便。




 (社法)地域再生道場から、
 クール便で、どかんと。
 ピーマンは、
 ナマでかじっても甘いのだ。
 嫁さんに食わせる、秋ナスも。
 空中で育てたというかぼちゃは小ぶり。
 泥つきのねぎは、
 夕餉の特製ラーメンの具になった。

 吉田爺の「炭素循環農法」
 土中の微生物の働きを活発に。
 野生回帰の自然農法なのだとか。
 ちょっと、むずかしい。
 でも、味がちがうのはたしか。

 むかし。
 自然農法というのがあった。
 完全に白眼視されたのは、
 科学的根拠が希薄だったこともある。
 しかし、農薬、化学肥料漬けの、
 食材への本能的な疑問から生まれた。

 いまも、異端者とされやすいが、
 なんといっても、
 三度三度、口に入るものなんだから。
 吉田爺の挑戦に敬意を払って…

 立野が原の歴史は、
 野菜作りの苦難の歴史の土地。
 先人の苦労を
 しっかり胸に刻んでほしい。
 かっこいいことに、
 飛びつくのは易いが。


 能登の農園グループ、
 道の駅福光、
 ご町内の家庭菜園グループ、
 知り合い、生協、
 米も有機米が何種類か。
 2人世帯にはぜいたくな食材。
 いまから長生きしてもねえ
 ま、健康なのは
 これらの食材のおかげである。

 なかでも湧々農場は抜群。 
 おすすめです。


井波で出会った娘たち

2012年09月07日

       久しぶりに、 
       井波の町をぶらり。

       え、こんなお店?
       店頭が渋くておしゃれ。
       細長い京屋づくり。
       奥に瀟洒な坪庭がまぶしい。

       ご主人に断って、
       コンパクトカメラ。

       じつは、
       奥に気になる女性が。




 若い女性が、
 一心不乱に、ふところに抱えた、
 彫刻作品にノミを振るう。
 若い女性が、
 ひたむきに仕事をしている姿は、
 いまどき、新鮮。
 
 イヤホンを耳に、
 これもいまどきだろう。
 城端線の女子たちとおんなじ。
 昔堅気の親方は、
 さぞや気になるかも。
 でも、
 彼女の周りの空気がさわやか。
 通行人にとって、
 驚きの空間に見える。

 井波の、木彫の店と職人の世界も
 なかなか奥が深い。





 じつは、
 これが目的だった。
 南砺市環境保健協議会主催の
 地球温暖化防止に関するポスター審査会。

 中学生の201点の応募作品。
 わりと類型的なのが多い。
 なかで、独創性のある15点を選ぶ。
 富山県で審査。そして国のへ。

 むかし、
 ポスターコンクール荒らしだったのが、
 今は懐かしい。




 じつは、
 仕事のついでに、前日に
 突然呼びかけたオフ会。
 もう衝動的。ゲリラ。
 3人のつもりが6人に。
 うち4人がいまをときめく
 娘さん?たち。

 じつはみなさん、
 東山荘がほとんど初めて。
 そしてお互い初顔合わせも。
 毎日、ブログで会っているので、
 30秒で、数年来のお友だちになる。

 じつは、
 ランチにしては、ビールつきの
 ぜいたくな品々。
 それ以上に、舊式便処に
 みなさん感動。
 順番に鑑賞。
 まるで、棟方志功の住居なみ。

 新幹線が開業したら、
 南砺の厠めぐりも、いいかも。

 人数が少ないぶん。
 話の密度が濃くなるのだ。
 思いっきり、世の中やブログの
 本音の話ができる幸せ。
 こんな気楽な、普通の日の昼の、
 ミニオフ会も悪くない。
 来れなかった人、ごめんなさいね。
 チャンチャン♪

 
 お知らせ
 
 きょう8日午前9時半
 向井潤吉展がオープンです。
 富山ゆかりの著名な作家。
 おすすめは、
 10時前後、テープカットのあとの
 世田谷美術館美術課長の
 作品解説です。
 向井潤吉のことなら、第一人者。

 


 特報です
 9日(日)午後2時半〜3:00
 1階ロビーで、
 平高校郷土芸能部を招いて、
 麦屋、こきりこなどを
 30人が唄い、演奏し、踊ります。
 30〜40分ぐらい。
 むぎや祭りの予告編ですが、
 庭の緑を背景にして演じます。
 ロビーは入場無料

 ついでに、
 向井潤吉展も。
 合掌の民家や、
 上市伊折の作品は必見です。








 





稲塚権次郎さんの家

2012年09月08日

        ごあんない
       きょう9日(日)
       午後2:30〜3:00
       福光美術館1階ロビーで、
       あの平高校郷土芸能部の
       30人が
       麦やなどの公演。
       無料です。 



       南砺市の民家といえば、
       世界遺産の
       合掌造りがシンボル。




       日本の民家は8タイプ。
       そのうちの4種が
       富山県に渦巻くように
       存在(した)
       全国探してもここだけ。
       (富山県史民俗編)


       南砺の平野部は
       砺波型と呼ばれる草ぶき。

       私の実家、
       土生新もこのタイプ。


       草屋根を降ろして、
       瓦葺きにしたのが
       アズマダチ。




       1階部分をそのままにして、
       屋根だけ90度方向転換。
       そして瓦屋根にする。
       すごいアイデアと技術。

  

     マンスリーアート案内はがきより

 稲塚権次郎さんの旧居。
 
 8日にオープンした、
 美術館の「向井潤吉展」に併せて、
 市民ギャラリーで開催されている。

 長谷川和衛展
 とやまの民家の構造を紹介。

 そのなかに、
 稲塚権次郎さんの旧居の細密画。
 民俗の会員として、
 県内の民家記録・調査に
 飛び回っていた長谷川氏。

 城端で見つけた民家に魅かれて
 ロットリングペンという、
 コンピュータ用細ペンでスケッチを。

 あとで、
 ノーベル賞5個もらっても
 ふしぎでない人とわかる。
 旧知の友人、千田 篤氏が
 福野高校に眠っていた資料を発掘し、
 北日本新聞に100回を超える、
 執念の連載をして、出版もされた。
 (家の光)

 長谷川氏は、あわてて、
 関係者へ、保存を勧めるが反応なし。
 結局取り壊しになったという。

 保存されていたら、
 棟方住居、野口英世記念館以上の
 価値ある歴史遺産になっていたであろう。
 世界から、見学に来る。

 事実、秋には、
 アフリカの農業研修生が
 7か国から富山県に長期滞在して
 日本の農業の歴史を学ぶ。
 選ばれた若者たちが20余人も。
 目下、そのお手伝いをしている。
 

 松村謙三さんも含めて、
 南砺の農業の先覚者の存在が、
 アフリカ諸国の農政に寄与することになる。
 帰国すれば、各国の
 農政のリーダー、幹部である。
 JICAとNPOグリーンツーリズムとやまで
 3年間は受け入れる予定。
 県の農水も後押し。

 県議会の中川氏も副理事長として
 応援いただいてきたが、
 衆議院選挙の候補に。
 センスのいい、人望のある仲間。


 たかが、古ぼけた民家。
 それが、生きた証人として、
 誇るべき世界の宝ものとなったのに、
 惜しい。
 救いは、長谷川氏が、
 正確な記録画に残してくれたこと。
 ありがたい。

 9月30日まで。無休。無料。



五箇山の生きた未来遺産たち

2012年09月10日


        齢を重ねると、
        情けないことがおきる。
        なかなか、ものごとに
        感動しなくなる。

        それが、
        久しぶりに、脳みそを
        後からガンと
        衝撃を受けた。

        ライブだから、
        だけではない。




 日本の民家を
 油絵で描き続けた向井潤吉。
 その企画展にあわせて、
 五箇山のこころも紹介したいと、
 県立南砺平高校郷土芸能部の
 30人のみなさんに、
 特別公演をお願いした。




 30分前から
 ロビーは一杯になって、
 練習風景にみなさん大喜び。




 みどりの背景が抜群の舞台装置。
 五箇山の深山のおもむき。




 3年生がぬけて、2年生。
 それで、この声の透明さ、踊り手の
 ダイナミックなコキリコ




 衣装をつけて踊ると、
 16歳にはとても見えない。




 突然少女に変身。う〜ん。かわいい。




 あっというまに、終了。
 拍手が鳴りやまない。

 五箇山の山村文化のこころが
 そのまま、
 こういう形で伝承。
 いや、より磨き上げられて。

 高文祭のかわりに、
 あるとすれば南砺市文化祭の
 グランプリを差し上げたい。

 ありがとう♪

 五箇山のみなさんと、
 南砺の歴史風土が
 日本一小さい公立高校と
 日本一の
 珠玉の芸能を育てた。
 AKBなんとかも、色褪せてしまう。
 
 おかげで、
 向井潤吉展も受付がびっくりするほどの
 入館者がひっきりなし。
 企画展開催中は、無休で、
 スタッフもがんばっています。













高岡市の都市軸はみなみへ

2012年09月11日


        アメリカ芙蓉。
        マリリンモンローの
        映画のシーンみたい。
        清楚なフレアスカートが、
        眼に焼き付いている。




 古来、交通手段、インフラの変化とともに
 都市構造も変わってくる。
 高岡市がその典型だろう。
 陸路、馬、海運、蒸気機関車
 電車、クルマ、そして新幹線。

 
 高岡市。
 北陸新幹線開業で
 都市軸はまた南へずっていく。
 市民の期待より、いらだち。

 高岡のかなめは、
 大伴家持の国府。
 そして勝興寺、海運の伏木。

 高岡城と金屋町へ中心が移動。
 さらに、たかまち(現末広町などの総称)へ。

 蒸気機関車の高岡駅は郊外の南へ。

 北陸一の商都として、
 北陸随一の地下商店街が生まれたが、
 いまは、見る影もない。



          2012.9.9 橋上駅より

 JR新高岡の橋上駅は、大都会並み。
 改札なしで乗り継ぎで、
 トイレに行けるのがありがたい。

 駅前ビル、かっての地下街は
 目下大工事中である。

 城端線にできる新駅。
 新幹線駅とのアクセスは中途半端。
 観光スポットが分散。
 古城公園を中心とした町づくりが
 イベントなどで続けられたが、
 都市軸の移動が早くて、
 物語がない都市になってしまった。

 50年かけて育てた、
 大伴家持の万葉物語りも富山市へ。
 
 以前に、北陸高速自動車道の
 建設のとき、高岡市は渋った。
 戦災に遭っていない街の土地の権利は
 ややこしくて、再開発のがん。

 それで、砺波市にインターができた。
 新幹線も似たような事情である。
 高岡市民の鬱積した気分は、
 どこへも持って行きようがないという。
 (複数のタクシードライバー談)
 それでも、
 商工会議所などの人たちの努力は続く。
  

それはないよ自民党さん

2012年09月12日
  
        庭に10年前に植えた、   
       プラムが
       みごとに鈴なり。
       バケツ一杯収穫です。
       ちよっと、
       酸っぱいけど、
       果物はこうでなくては。
       つれあいが、
       あちこち配ったるいてます。





 さっそうと、高岡駅前で
 鈴なりの、
 聴衆を前に、街頭演説を
 されていたのをスナップしたことがある




 その時は、
 ごくろうさま、ぐらいの感覚。



             2010.7.2

 当初は、総裁として軽いかな、
 でも、言いたいことを、
 きちんと言ってイヤミがない。

 その後の3.11
 政局の混乱、内憂外患。

 民主党の敵失に助けられて、
 谷垣株が上がってきた。
 いちばん困難な時期を
 リーダーとして
 泥をかぶりながらも、
 めげずに切り抜けて、
 自民党の今日がある。

 大阪の品のなさに比べても、
 京都でもまれたセンスの良さ。
 自民のなかで、珍しいタイプ。

 糟糠の妻を、
 内輪で足を引っ張って、
 引きずり下ろすとは。
 (日経1面コラム・春秋)
 
 有権者、国民は見ている。

 かっての、
 岸信介と松村謙三さんの
 一騎打ちの総裁選を想起する。
 負けることがわかっていても、
 あえて筋を通し、
 世論はけんそはんに味方した。
 ちなみに、
 富山一区に名乗りの中川県議、
 熱烈な松村謙三ファン。
 資料請求されたことも。




なんとかならないか城端線

2012年09月13日

       城端線。
       通勤通学時間を
       過ぎると増える、
       観光客。
       ほとんどのボックスが埋まる。

       福野、福光、
       そして城端でほとんど下車。
       砺波はゼロ。

       シニア夫婦が多い。
       観光マップを
       ふたりで広げている。
       外の風景を
       堪能しながら。




 また、バックパッカーも
 最近多くなった。
 下げているカメラで、
 こだわりの程度がわかる。

 「どちらから?」

 「東京です。こんなすばらしい、
  ローカル線があったとは!」
 興奮気味にカメラで。
 「お気をつけて」




 気になるのは、
 途中の無人駅のかってのホーム。

 地域ぐるみで、
 手を入れている駅との
 温度差が大きい。




 かっては「常花線」として、
 花が咲き乱れていたホーム。

 砺波駅は
 チューリップフェアのときだけ。

 城端駅はいちばん。
 花が絶えないのはさすが。

 北陸線とちがって、
 窓の清掃が少なくて、
 写真が撮れないのが悩み。
 儲からない路線ではあろうが。








 

棟方志功さんの愛染忌

2012年09月13日

     万葉のむかしから、
     朝顔は
     秋の七草とされることも。
     今が、いちばん
     色があざやか。
     




     あさがお通りの
     福光新町。豆腐屋さんの塀です。
     ここの湯葉は絶品。
     ちょっと手に入らない。
     料亭や
     法事にひっぱりだこ。





     愛染忌。
     13日は棟方志功の
     命日です。




 故石崎俊彦氏は、
 棟方志功さんに生涯をささげた人。
 陰に陽に家族にもよりそって。




 棟方志功さんの戒名は
 現天台座主の半田孝淳さんが、
 生前につけられた。(真宗は法名)




 戦前の仏画家、荒井寛方ゆかりの
 信州上田温泉、常楽寺で、
 荒井家のみなさんと、イベント。
 そのおり、ご住職と親しくなる。
 棟方志功とのかかわりも、
 きのうのことのように、楽しく、
 教えていただいた。

 現在は比叡山のトップ。
 95歳で、全日本仏教会会長。
 ローマ法王とも親しい、
 世界宗教者会議も叡山で主宰された。

 偶然ながら、
 荒井寛方は、私の祖母の親戚で、
 半田師は
 私の義父、仲人の故西村公朝
 (天台法眼大仏師)と
 家族ぐるみのおつきあいされていた。
 世の中せまいのに驚く。
 片田舎の農家のせがれでありながら。
 ぐるぐるのいっけ。




 棟方志功さんが、
 子どものとき、青森で初めて
 美に目覚めた「澤瀉(おもだか)」
 田んぼの雑草である。
 志功さんは水辺の生き物を愛した。
 かっては、美術館で
 おもだか忌としていた。




 愛染苑のとなりの田んぼに
 そっと植えて、
 お百姓さんにこっぴどく叱られる。
 「澤瀉妃」の華やかな版画が
 美術館に所蔵されています。






あの柴田りえさんが

2012年09月14日



       ほんのわずか、
       五箇山は涼しい。
       ことしの稲。
       背が低い。
       天候のせいか。
       育ちざかりのとき
       水不足だった。





 こんなかわいい、観光客。




 ときならぬ騒ぎ。
 あす、みんなで農作業の日in五箇山
 棚田のオーナーの稲刈り。
 その前にチューリップさんの
 テレビ特番の収録がされた。




 地元のベテランが、稲刈りを指導。
 むかしのコメ作りの話がよかった。




 この田んぼは、実は一面の桑畑。
 戦後、水田にして、初めて目の前の
 田んぼで米が取れた。
 そのとき、どんなにうれしかったことか。
 何百年間、
 五箇山では米が作れなかったのです。




 熱心に聴く人。
 柴田りえさん。多忙なスケジュールを
 やりくりして、着替え。
 すっかり地元のおっかちゃん。
 稲刈りは初体験なのだそうな。




 無事収録。南砺市の食文化を
 特別番組で年末に放映されます。
 ごくろうさん。




 なぜか、南砺市の
 若い?農女子たちでした。
 お疲れさま。
 きょうが棚田稲刈りの本番です。




 こちら
 善徳寺の境内は、
 本番前の静けさです。

中国人は曹操が好き

2012年09月15日

        相倉の棚田で
        稲刈り2日目。

        決して高くない
        鼻のアタマがヒリヒリ。
        ほおずきも日焼けして
        真赤っか。




 総勢50人あまりで、
 相倉集落は大騒ぎ。観客や取材の方が多い。
 今朝の朝日新聞、テレビ朝日で
 全国版に紹介されています。動画つき。
 世界遺産のロケーションは魅力。
 山本勝徳副会長の開会あいさつ。




 東京から筑波大学の黒田夫妻も。
 上平へは学生たちと研修体験で、
 こちらは、個人の棚田オーナーです。
 こういう公私混同大歓迎。
 
 世界遺産ゼミ教授で、
 南砺に力をいただいています。
 6年間、年に何回も、大学院生を
 引率しながら、
 五箇山の世界遺産や農業を、
 汗を流しながら、
 じっくり研究されています。
 いつも住民の年配者の話に
 謙虚に耳を傾けながら…
 
 こういう方を
 本当のえらい先生と呼びたい。
 壇上から、上から目線で
 南砺をほめあげて帰る評論家も
 ときどきおられますが。





 最後のハサがけまで、しっかりと。
 みなさん、ご苦労さまでした。




 テレビで三国志「レッドクリフ?」放送。

 気になること。
 中国大陸で起きていること。

 中国人は曹操が好き

 子どものとき、父の書棚から、
 吉川英治の大衆小説、
 三国志を兄と競争して読む。

 日本人は(私も)孔明が好き。(だった)
 中国の商売人は関羽を祀る。
 (横浜中華街の守り神)

 憎たらしい曹操を、実は
 中国人が大好きな意外な面がある。
 漢民族の共通の願いは、
 覇権、つまり天下を取るのが夢。

 やはり「孫子の兵法」の国

 国力が弱い時は、
 ひたすら征服者に従順、おとなしい。

 ひとたび、チャンス到来で
 相手かまわず力でしゃにむに押してくる。
 今の日本の政情を読み込んで。
 思いやりなんて、とんでもない。
 4000年、その繰り返し。

 かって先輩の「礼節の国」、
 経済の急激な発展。バブルの危機。
 国内の拡大する格差への不満。
 それを外へそらそうとする首脳。
 いろいろ
 中国という国に評価はわかれるが、
 相手国の歴史を冷静に知ることも
 大事だなあと痛感する。








 
 







城端線の存続(訂正)

2012年09月16日

        城端線の
        廃線を決めるのは
        民間会社JR西日本。

        いくら理屈をこねても、
        採算が取れねば、
        加越線のように
        あっさり廃線になるかも。





 九州新幹線の影響調査に県より依嘱され、
 現地へ出かけたことがある。
 並行在来線は厳しかった。

 九州の肥薩線のように、
 地元の熱意で蘇った例もある。
 城端線より貧弱な、
 ローカル線を視察して驚いた。
 地元の若い人たちの
 取り組みで実現して、全国から
 わざわざ、乗りに来る。



      2010.10.28 福光駅・14歳の挑戦

 加越線の廃止で
 さびれた地域はいくつもある。

 乗客の増大策が決め手、
 それはまた、利便性と快適さに
 裏打ちされないと、ジレンマに陥る。

 もうひとつ、
 忘れてならないのは、
 地元の利用者の、
 城端線への愛情ではないか。

 危機感が乏しいように感じる。
 クルマに乗っているとわからない。
 車窓の散居村のすばらしさを。

 いちばんの利用客、高校生。
 そして中学生。高齢者。
 有人、無人を問わず、
 駅舎を磨いてみたらどうか。

 ある地域で、
 私立高校の生徒と、自治振興会で
 学校ウラの用水を共同で清掃。
 40年間も放置の荒れた用水が、
 見違える清流の川に変身した。
 市もバックアップ。
 いまは恒例となって、
 お互いの交流も深まる。
 まちづくりプロジェクトとなった。




 エネルギーも余っている、
 沿線6つもの公立高校。
 それぞれ分担して年に一回、
 どの駅も、月一回の清掃や、
 花壇の手入れでじゅうぶん。

 各駅周辺の美化に
 ボランテイアやるだけで、
 城端線はピッカピカになるはず。
 いつも花壇の花が咲き乱れる。
 地元の自治会も一緒に。

 車内の清潔感や
 生徒のマナーもアップするだろう。

 世界一快適な街、スイスのチューリッヒ
 連続一位をゆずらない。
 電車の車内のマナーが
 観光客にやさしいからである。





 土、日の部活、試合にずいぶん
 城端線に乗っている。
 年にたった1時間で済むはずである。
 
 城端線に汗を流せば、
 愛着も湧いてくるではないか。
 だいいち、気持ちがいい。
 新しい乗客も育ち、
 新幹線開業の際には
 大きな観光資源になる。

 そんなローカル線に、
 首都圏の3600万人が
 惹きつけられる。

 精神論よりも、掛け声よりも、
 世の中が動く。
 仕掛けは、
 単純な方がインパクトがある。

 と、一乗客の夢でした。

 




 

 



  


世界一のミュージアム

2012年09月17日

      新幹線で、
      外国の旅行者も
      在日の外国人も
      南砺へやってきます。

      アジア系は、
      期待できない。 
      どうなることやら。

      中国の救いがたい混乱期、
      それを鎮めたのが
      ?小平と周恩来。
      その愚をたしなめたのが、
      魯迅だったことを
      思い出す。
      ただ、?小平は
      天安門事件のとき、
      強硬鎮圧しているので、
      功罪なかば。


      欧米でいちばん多いのは
      アメリカ人でしょう。
      文化度の高い、
      ヨーロッパ人も欲しいけれど。

      アメリカ人が
      泣いて喜ぶミュージアム。
      世界で
      ここしかない。

      福光美術館?だけでは
      ありませんでした。残念。




 福光・東町にこの春できた、
 というより、
 一介の酒屋のおやじさんが身銭を切って
 手作りされたバットミュージアム。
 支援者もありましたが、
 ほとんどが嶋さんの
 決意と行動と、汗の結晶。
 ご家族も協力。
 個人博物館と呼んでもいいでしょう。
 



 アメリカの国技。
 ベースボールは日本へ。
 ベーブルースからはじまって、
 イチローまで。
 日本人選手はほとんど。

 廃棄されそうになっていたのを、
 嶋さんが蒐集。1300本も。
 うち500点を選んで展示中。

 戦後、アメリカへも年間
 最大150万本輸出されたことも。
 世界一の
 バットの聖地でもあります。

 南砺へやってきたアメリカ人は、
 なぜ、こんな小さな町に
 世界一、があるのか驚きます。
 熱狂するのは間違いない。
 実際に手に触れることができます。
 (一部を除く)
 その
 1本のバットから、
 南砺の文化風土、地域の産業史を
 知ることができる。
 何といっても、ホンモノの迫力です。

 富山写真語・万華鏡の
 248号(8月発刊)の
 「南砺バットミュージアム」には、
 その意外なドラマが載っています。
 企画提案された写真家の
 風間耕司氏のこだわりです。
 生粋の江戸っ子生れでありながら、
 富山ぐらし50年。
 そのセンスに敬服。
 はれあたまさんのルポも。

 金沢から、五箇山へ、世界遺産へ
 飛騨古川、高山への道すがら、
 文句なしA級の、
 観光スポットになるでしょう。

 アメリカ人は、そんなことが
 大好きな、陽気な人種です。
 
  嶋信一さんの
 場外ホームラン

  でした。



モラ刺繍のこと

2012年09月18日

        所要で、  
        姫路の町のはずれまで。
        石崎光瑤の
        作品のことで。
    
        初めての地。
        関西〜瀬戸内の
        工業地帯。
        みどりも山もない。
    
        富山のありがたさが
        よくわかる。




 久しぶりの大阪駅。
 どうなっとるがじゃ。
 百貨店も2つ。ヨドバシカメラ
 巨大ホテル。
 おの大屋根はなんじゃコレ。
 なんとも品も風格もない。
 いかにも、
 大阪らしいエゴと
 センスのなさが鼻につく。
 写真で見るとすごいが。




 ヘリオスで15,16と開催された、
 第24回「モラと刺繍」教室作品展。

 田島ふじ子さんが、
 長年がんばってこられた。
 その活動は、
 いぶし銀と言いたいが、
 作品の華やかさは、
 見ていただくしかない。
 指導は、
 日本のラモ刺繍の第一人者、
 中山 冨美子先生




 南米パナマの民族手芸。
 この鮮やかな色彩が好き。
 じとっとしている、
 北陸の風土に、
 からっとした、明るさが
 なんとも心地いい。

 パッチワークとも
 技法も違うらしいが、
 来年の春に企画中の
 第2回の大型アートキルト展に
 ぜひ、と願っている。

 北陸の地を明るくしてくれる、
 大輪の花となってほしい。



 

中国という国の素顔

2012年09月20日
 

       この春に、
       新潟県の雪梁舎美術館の
       棟方志功コレクションを
       快く貸していただいた、
       捧理事長。




 農家を継ぎ、
 苦労を重ねて、一代で
 日本一の
 ホームセンター「コメリ」を
 全国に1080店も作り上げた。
 5年前に、
 福光美術館へお見えのときは、
 まだ700店だった。
 南砺市ファンのありがたい存在。
 武田美術館友の会会長とは旧知の間柄。

 2年前だったか、
 館へふらりと現れて、
 「中国出店は見合わせました」

 瀋陽だったか、
 請われてコメリの中国出店第一号。
 爆発的な好況。繁盛店に。

 ところが、成功すると、
 いろんな立場の面々が干渉はじめる。
 リスクを感じて、
 ビジネスにならないことを
 肌で感じた。
 すぐ撤退を決断し、中国への
 出店戦略を当面見合わせたという。
 ユニクロなどは出店

 若き頃、捧さんは、
 革新的な文化活動も体験され、
 当時の中国はあこがれの地。
 若き経済人として
 モスクワやウラジオストックも視察。
 
 若きころの毛沢東は、
 中国の経済格差をなくした。
 しかし、中国の極端な経済格差の昨今。
 人民の不満と政府批判、党批判を
 反日教育ですり替える国策。
 それだけに、
 建国のころの中国とのギャップを
 痛感されていたのだろう。



 折しも、
 きのう、南砺市が生んだ偉人、
 山崎兵蔵と、
 山村の真宗についての本を
 東京から全国へ(世界へ)出版すべく、
 精力的に取材中の
 谷口教授と電話でやりとり。

 礼節の国、中国が変節したのでしょうか、
 と、聞いたところ、
 意外なお話でした。

 「違うんですよ。仏教も、
 孔子さんら儒学も、むかしも今も
 極めて少数派なんですよ。
 主流は4000年も
 徹底した覇権主義の民族、国家です!」
 思わず絶句。

 先生は、経済学者で詩人。
 日本ペンクラブのメンバーで
 南砺市の山村と
 真宗文化について研究中である。

 東日本国際大学名誉教授である。
 アジア近代経済学と近代史、
 儒教とのかかわりについての第一人者。
 それだけに、
 説得力があるし、著書も多い。

 「いまの日本と同じく、
  経済優先、
  中国の覇権主義では
  人間性が失われていく。これでは
  いけないというので、
  仏教や、儒教、神仙思想が
  生まれたのだけれど、
  いつの時代も主流だったことはありません」


 つまり、朝鮮半島も、
 特に日本の場合も、仏教や儒教は
 受け入れやすかったのだとのことでした。
 いいとこ取りというわけ。

 島国の自然の豊かさに支えられて、
 日本に(かっては)定着し、
 華開いたのだとも。
 谷口さんのような存在は
 南砺の宝もの。

 太美山自治振興会が3年計画で
 高齢者が中心となった地域振興と、
 全国発信をめざし取り組む、
 地道な住民参画事業の一端である。
 高齢者の志の高さと知恵はすごい。

 日本に生れてよかった、
 と思いたいが、昨今の世の中、
 とりわけ政局の展望の無さに、
 やりきれない気分。
 





いじめの遠因は米作りかも

2012年09月20日

        幕末から明治になっても、
        日本人の  
        80%は農民だった。

        それもほとんどが
        稲作に従事してきた。
        日本人の精神的な骨格は
        そこから培われたと
        言ってもいい。

        歴代天皇の
        儀礼の中心も
        豊穣を願う神事である。




 今と違って、
 1000年以上も米が主役の社会。
 そして、
 命の綱は限られた水の配分。

 ムラの水管理が、ムラ社会の
 秩序を作ってきた。
 水田耕作の宿命であり文化。

 旧の西砺波郡、東砺波郡が
 やけに細長い地形なのも水系の保全管理のため。
 下流の水不足、水争いの解決に
 松村謙三さんが心を痛め、
 刀利ダム建設へ奔走された。
 刀利の聖人、山崎兵蔵先生も
 下流に住む人たちの幸せのためにと、
 住民を説得されたという。

 ムラ社会は異端を嫌う。
 水管理を基盤とした秩序を乱すのは、
 とにかく困るのだ。
 ムラ八分で制裁。
 (葬式と火事以外は近隣で付き合い拒絶)
 つまり、いじめともとれる。
 いまは死語となった。
 ねつおくり祭りなども、
 地域の結束をかためる政りごとの側面もある。
 あくまで民俗学、文化人類学の見方。




 あの棟方志功一家が
 いまの東日本大震災よりすさまじい、
 東京の大空襲から南砺へ避難。

 のどかな田園地帯と町へ
 心身ともにボロボロになって
 たどり着いた6人家族にとっては、
 苦労の連続だったようだ。

 ことば。服装。ヘアスタイルの違い。
 夫婦で語り合いながらの通行でさえ、
 すべてが好奇の対象となる。
 学校だけでなく。

 のちに文化勲章を貰ったといって、
 別の対応をした人も多い。
 人の世である。
 遺族にとっては半世紀も違和感があった。
 名誉町民に推戴されたが、
 お世話になったことを謝しつつ、
 棟方さんは丁重に断った。

 今はとても良好な関係です。




 外来者、異形異質、価値観や
 生活習慣の違っている人を排除する。
 それは、日本のムラ社会が
 1000年かけて培ってきた、負の文化。
 DNAにどこか残っているのかもしれない。

 救いなのは、
 キリスト教圏などの一神教文化の
 イエスかノーかだけでなく、
 中庸、寛容の美質を日本人は持っている。

 いじめと自殺。
 すぐ、教育現場へ持ち込まれる。
 たしかに舞台は大半が学校だから。
 しかし映画「少年時代」のように、
 通過儀礼のようにして、
 子どもたちは成長していく面もある。 


 いじめのはるか遠い遠因として、
 ムラ社会の負の遺産を
 どこか抱いているからではないか。
 地域社会と、その基礎単位の
 家庭も無縁ではない。

 これからは、外国人との
 おつきあいも避けて通れない。
 いじめ問題を、
 教育界の問題だけに特化するのは、
 いかがなものだろう。

 





日本のモノづくり技術

2012年09月22日

       寒く感じる朝、久しぶりに、
       庭を巡回(するほどの、雑草苑)

       初めてツリフネソウが
       咲き始めた。
       美術館近くの道端で
       採種して、何年もトライ。




            ついでに、          
            ミョウガ、プラムも収穫。


 
 25歳のころ、富山市で
 有名宝飾店の広告とウインドウデスプレイを
 担当していたことがある。

 安い給料のなか、
 発売されたばかりの腕時計を求めた。

 


 クオーツ時計。
 水晶振動子を用いた、現代では
 当たり前の技術である。

 40年間、いまも健在。
 年間数秒も狂わない。一度だけ
 オーバーホールに。
 一度、シャツのポケットに入れて、
 洗濯機にかき回された。
 防水ではないけれど、ちゃんと動いた。
 2年ごとに、革バンドは取り替える。

 日本のセイコーが開発、技術を
 日本のメーカーに公開。
 あっというまに、
 アメリカの時計産業は全滅した。

 スイスの高級時計も大打撃を受けつつも、
 現在はブランドとして復活。

 はれの日には、
 スイスの時計を着用することもあるが、
 やはり、この腕時計は
 身体の一部になっている。

 当時の高級宝飾店は、いまはない。
 当時の広報担当された方が、
 いまは、井波の実家で開業されている。
 「いいモノに当たりましたね」

 日本のものづくりの伝統は、
 これからも、時を刻んでほしいものだが。



 

新湊大橋

2012年09月23日


       ようやくというより、
       いきなり、
       猛暑から、
       晩秋になったような。
       
       朝の光線も、
       秋らしくなった。



 新湊大橋開通。
 まずはおめでたい。
 地元にとっては悲願であったが。

 バブル絶頂期に決定され、
 嵐に逢いながら、
 平成の世に完成した。

 もとは、
 新港埋立地の活性化から、
 構想された。

 対岸貿易、交流を視野に入れて、
 日本海ミュージアムが
 100億円かけて作られることに。
 これは、県として、
 予算の事情で頓挫した。
 
 山のミュージアム
 (立山博物館)があるから、
 海のミュージアムがあってもいいと
 ネーミングを提案。
 ハードだけでなく、
 知的な、文化的な施設と
 研究機関があってもいいのでは。

 県庁内には
 日本海ミュージアム室ができ、
 専門家が集められた。
 まずはスタッフづくりだった。
 のちに日本海政策課に
 引き継がれ、
 すぐれた研究業績をあげている。

 
 同時に、地元からの要望と、
 地元出身の次官の力で、
 国の事業として、
 大橋だけが進行してしまった。
 当時、500億を超すという予算は
 あまり聞かなかったように思う。

 当時、国から予算を取ることは
 善であった。

 昭和から平成への
 日本を象徴する
 モニュメントでもあろう。

 蛇足:
 事務次官というのは、官僚として最終ゴール。
 新港での夜なべ談義で、
 伺ったことが印象に残る。
 内閣。大臣の補佐役が次官。
 次官どうしで頻繁に調整会議。
 話が一致しないと、
 何も決まらないのだそうな。

 民主党政権で、
 このシステムを排したのは、
 たぶん、その功罪を吟味した上での
 判断だったようだ。
 

  

利賀村へ帰る日

2012年09月24日



       3年に一度、
       利賀村の全国14の出身会の
       皆さんが、村へ帰る。 
       こんなに絆の強い地域は
       日本一であろう。
      



 4000人いた利賀村は36もの地域が
 元気だった。その地区名を、
 シンボルマークにデザインした。
 雪が降りしきるイメージで。
 30年前から利賀へ通っていた、
 イラストレーター川上英子さんの力作。




 出身会のひとつ、京都の享友会は
 西陣に立派なビルを建てて、
 毎朝立派な仏壇に、利賀関係者の
 過去帳を広げてはお勤めを欠かさない。
 共同墓地には母なる村の
 36カ所の土を寄せたという。
 絆のある関係者は
 京都だけでも3000人にもなる。
 ふるさとを慕う姿に感動した。

 南砺市の24年1月のデータでは、
 1人または、2人が暮らす集落が6つも。
 近年900人台だったのが、現在は
 おそらく700人を切っているはずで、
 激減の進行は止まらない。
 深刻を通り越している。
 しかし、高齢の村民は
 毅然としてふるさとを守っている。
 神々しいまでの生き方。

  http://5698.blog.nanto-e.com/detail-6173.html

 出身会のことは、上記のブログ記事で。

 「母村」とは学術用語。
 日本人とは何か、を研究する場合に
 利賀村の出身会をモデルにされることが多い。
 日本人の原風景、精神文化の基底を
 なしているキーワードである。
 小説やミュージカルまでなった。

http://blog.nanto-e.com/column/20/detail.jsp?id=438

 200年前に、茨城県の霞ケ浦へ
 集団移住した玉造町(現行方町市)の
 野原さん、
 そして原町市(現南相馬市)など、
 末裔たちが利賀村へ集う。

 この3年間の間に、3.11大災害。
 南相馬市の人たちの想いに
 耳を傾け、追悼する機会であろう。
 回向を手向けることこそ、
 最大の行事ではないだろうか。 
 これまで、限界集落の
 母村を物心両面で支援いただいたお礼に。

 その集いの招待状が届いて
 驚いた。
 シンポジュウムをやるという。
 結構なことだが、この場にふさわしくない。
 住民の顔がまったく見えない。
 テーマは「標高600メートルの可能性」

 採択された、新まちづくり条例は、
 地域の深刻な課題や、記念の
 神聖な集いなどの祝祭を
 住民が主役で取り組むためのもの。
 条例違反のコーデイネート。

 住民とは、現住民。
 そして利賀に魅せられて
 10年も20年も前から移住してきて
 がんばっている住民。
 そして200年ぶりに帰ってくる出身者と
 その末裔であろう。

 第5回を迎える節目に、みなさんと
 再会したいが、丁重に出席を辞退した。
 惜しい。残念。

 ちなみに、個人的なことだが、
 私あての肩書きは
 母村ネットワーク推進協議会アドバイザー。
 相談も情報公開もない。
 これも市の条例の精神に反する。

 



 まちづくり条例は、
 なんでも規制するイメージがある。
 ほんとうの目的は、
 地域でがんばっている人たちへの
 やさしい、心のこもった
 メッセージだと解釈している。

 軽薄なパフォーマンスでは
 誇り高い村は死ぬ。
 


 


 
 

 

まるで日本海海戦

2012年09月25日
 

      テレビのニュースは
      まるで、
      日本海海戦。
      敵艦見ユ。

      天気晴朗ナレド、
      浪高シ。
      日露戦争の再現か。

         2011.12 荒れる富山湾と火力発電所

 明治37年5月、日本海海戦で
 バルチック艦隊撃破。
 日本の2倍の戦力を相手にして。
 107年前のこと。
 完璧な勝利で世界が驚愕した。

 当時のロシア帝国と日本の力関係は、
 東洋の吹けば飛ぶような
 どこにあるかわからないような
 ちっぽけな島国、日本と、
 世界最大の大帝国。
 地盤低下、迷走中とはいえ、
 現在の日本の国力とは比べようもない、
 存在感の薄い弱小国であった。

 いままた、存在感は薄れつつあるけれど。

 国民の総力挙げて、
 日本海海戦で勝利したということで、
 突然、大国意識が、
 そのあとの日本を狂わせた。

 実際には
 日露の戦争での貢献は
 外交によるものが半分と言われている。
 レーニンのロシア革命への支援、
 後方かく乱作戦。
 アメリカの財閥から多額の借金。
 世界に日本の立場を
 懸命にアピールして、
 国際世論を喚起する戦略。
 それらが功を奏して、
 かろうじて引き分けに持ち込んだのが、
 日露戦争の実態である。
 
 戦勝国だ、賠償請求せい、なんて
 とんでもない状況だったが、
 日本は浮かれていた。

 世界を味方につける、
 命がけの外交戦略と努力があった。
 イギリスの支援、ドイツの協調、
 アメリカの援助。
 当時の外交官の凄腕である。

 尊敬される東洋の小国になった。
 カザフスタンや、チェコ、
 トルコ、ネパール、
 モンゴル、ブータン、
 フィンランドなどの北欧諸国、
 大国の横暴に泣かされてきた国は
 いまも熱烈な親日国。
 学校で今も世界史を教えているから。
 付き合ってみると実感できる。
 
 受験に関係ないと、
 世界史を高校で教えなかったことが
 いまごろ、ツケがまわっているかも。

 ああ、それなのに
 今は…
 

利賀でソバ刈るこの人

2012年09月25日


       みんなで農作業の日in五箇山
       オーナー制度ソバ部会。
       2年前は好天で、
       約80人がソバ刈りに参加。


                   2010.10.2

 富山そば研究会や、オーナーのめんめん
 利賀村農業公社さんのお世話で、
 この時は豊作。昨年はダメ。
 ことしは豊作のようだ。




 そば畑で再会したこの人、
 前の会社で支社長やってたYさん。
 新湊出身で、5歳年下。
 定年後に、書やそば打ちなど。

 笑顔を絶やさず、人の話を
 丹念に聞く、敵のいない人柄で
 みんなに愛されていた営業マン。
 よくペアでお得意先まわりをした。
 37年もの同僚。よく遊んだ。
 心臓の持病だったが、先日亡くなった。
 
 人柄もあって、富山の
 マスコミ幹部やOBが沢山参列された。
 式場で、奥さまと顔を見合わせただけで、
 互いに涙がどっと。



 そばを通じて、2度目の再会だった。
 まだ、若い世代。ご冥福を祈る。合掌




 Y氏は、
 昭和20年生まれ。団塊の世界の
 トップバッターの年代。

 ひもじいながらも、
 進学のチャンスも狭い時代。
 しかし、高度成長の日本と、
 青春が重なって、
 言い方は悪いが、がんばれば、
 すべてが叶う、夢のような時代だった。
 毎年20%ぐらい昇給したことも。

 この人のことではないが、一般論。
 団塊の世代に共通しているのは、
 スキルアップや勉強しなくても、
 十分な報酬がもらえた。
 そのぶん、定年になってから、
 空しさが伴う。
 再就職では戦力にならないのだ。
 年金ぐらしで悠々自適とはカッコいいが。
 かっての良き時代の体験が
 すべて裏目に出る。
 そこで、趣味や生涯学習に道を求める。

 第二次世界大戦で戦勝のアメリカ。
 空前の好景気を支えたのは、
 ニューヨークのマジソン街。ビジネスの牙城、
 ウオール街と並ぶ。
 広告会社が密集する。

 日本の広告会社電通の鬼社長、
 吉田秀雄は、渡米して、
 マーケティング(市場調査)と
 クリエーテイブ(表現技術)を導入し、
 民放を作って、マスコミ界に君臨する。

 日本の新聞、放送、雑誌の
 水道の元栓を握っているようなもの。
 日本の経済の成長を支え、
 日本の文化を変えた功罪も。

 アメリカも日本でも、 
 広告主のエージェントとして
 リスクとストレスはすべて請け負う黒幕。
 めちゃくちゃな勤務時間と飲食の生活。
 毎日、毎晩が祝祭。
 広告・マスコミ人の寿命は平均より10年、
 短いと言われた。アメリカでも。
 前任の支社長は、もっと若くして
 いつの間にか亡くなっていた。

 600万人を超すという団塊の世代。
 奥さんはほとんど、
 専業主婦であることがステイタス。
 スキルはない。
 組織にもまれた経験はないので、
 これまた人間関係がうまくいかない。
 金とヒマと情報だけやたらと多い。
 この意識過剰の世代の女性が
 新幹線で南砺へ、どっとやってくる。

 この異人種を
 どう手玉に取るかが勝負だろう。

 日本の政治と経済の中心、
 文化も、観光も、
 この頭でっかちの苦労知らず人たちが
 すべてカギを握っている。



 ―― 寒くなりませんか。
 

 


 


 

南砺へアフリカから19人

2012年09月27日

      城端線で日中は観光客を
      ほんとによく見かけるようになった。
      「どちらから?」
      「東京です。こきりこ祭りに」
      
      高齢だが元気なグループ10人。
      たまたま同席して、
      歌詞の解説をしたらとても喜ばれる。
      また、南砺へ来たいとも。

      母親のふるさとが土山地区。
      真宗の御坊でたいへんな聖地ですよと
      ひとしきり解説。これも感激される。
      終戦まぎわに、疎開されていた。
      60年ぶりの、
      心のふるさと再訪とのこと。
      
      宿の五箇山荘のもてなしが、
      とてもうれしかったとも。


 アフリカから7か国(仏語圏)19名が、
 南砺の農業研修にやってくる







  アフリカの農業振興にかかわる青年たち。
 国を代表する若きリーダー。
 JICA北陸とNPOグリーンツーリズムとやまが
 主催する第一回の研修会。3年ほど継続の予定。
 きょうからスタートする。




 29日は利賀村でそば打ち体験、
 10月5日は井波の散居村の農業を学ぶ。
 南砺の農業が、アフリカのお手本になる。

 来年は、ぜひとも
 蓑谷の稲塚権次郎と松村謙三記念館で
 世界に誇る農業の歴史をじっくりと
 研究してもらいたいと、
 計画中でもある。


 南砺の先人が、
 アフリカの農業の先生になる。


長崎喜一さんのこと

2012年09月28日

       なんとも陽気な一行
       アフリカの19人。
       12日間で、
       とやま中を駆け巡る。       



 招いたのは、この人。
 長崎喜一さん。
 ほとんど一人で、各方面を駆け巡って、
 その熱意に仲間が動いた。
 NPOグリーンツーリズムとやまの
 理事長である。
 田中市長も理事だった。で、顧問。

 長崎さんは、ずっと県庁で
 土地改良の地味な仕事。で、
 日本一の圃場整備を裏方として実現。

 アフリカの農業も、
 水との戦い。飢餓との戦い。
 まさにぴったり。


 富山国体で、山岳競技の
 優勝させた、山岳連盟会長も。
 南砺の道宗道整備に、
 汗を流し続けた人でもある。




 昨年春には、
 いっしょにカザフスタンへ。
 ことしの夏は、
 アメリカで登山ツアー、
 そしてバリ島で炭焼き指導。
 世界中に友人がいる。




 県庁前で、記念撮影。
 長崎さんの人脈は、
 こんどはアフリカ7か国に広がる。

 毎日更新の、
 「夢創塾ブログ」をご覧ください。
 山羊と猫のうまその
 愉快な山暮らしが体験できます。

 南砺にも、
 こんな人がいてくれたら。
 



新幹線のスローガン

2012年09月28日


       北陸新幹線
       戦略とやま県民会議。

       高尚な哲学的なイメージを
       打ち出したしたいときや、
       目新しさを意識する。
       そんなプロジェクトのとき、
       「戦略」という言葉や、
       「協働」「○民」というのが
       格調高く感じるらしい。
       自己陶酔はとかく、心が離れやすい。

 



 第2回目の新幹線「戦略」会議。
 各論の「戦術」の集大成。
 細かい項目やデータがどっさり報告された。
 書類の多さは、担当ががんばったという、
 証明書のような感じがする。

 YKKの吉田社長。
 「もう時間がないのだから、重点的な柱に
  絞り込まないと」

 県西部プロジェクト会議の結果報告は、
 高岡が中心でまとめられ、
 城端線の存在理由はきわめて薄い。
 レンタカーの2次交通の充実をとだけ。
 
 南砺にとって重要な金沢や、
 世界遺産、飛騨地方への言及はほとんどない。
 新湊大橋は大きく取り上げられていた。
 
 国土交通省のデータでも
 南砺への観光は、金沢へ宿泊してというのが、
 すべて基軸になっているというのに。
 



 北陸新幹線「富山県」開業
 キャッチフレーズが
 審査委員会で決定、披露。

 んん?

 
 きてきて富山 きときと富山


 あまりコメントしたくない。



   いきいき富山観光キャンペーンのシンボルマーク。   
   20年も親しまれると、観光宣伝を超えて、
   公の印刷物などにどんどん使われるようになった。
   まるで富山県のマークみたいだから、         
   少しおしゃれにすべきという声が出て、
   手を入れた。


   あとのリメイク版には息を吹き込む穴はない。

 30年もたつと、どんな進化があり、
 どんな新鮮なフレーズになるのか、
 6,816点から選ばれたということで、
 審査結果を楽しみにしていた。

 いまさら、魚しかないイメージ?
 きてきて富山。
 気もちはわかるが、媚びている感じ?
 首都圏側からのニーズと、
 発想が基本ではないだろうか。

 両隣の委員たちが、ため息。つぶやき。
 元気が出ないなあとも。

 ちなみに、
 いきいき富山を30年前に
 決めるとき、富山に移住の
 池田弥三郎さんに県の担当が相談。

 そのとき「きときと富山」を応募した。
 池田さんは、この方言は
 まだ全国区になっていないからと、
 いきいき富山に。
 佳作として5万円いただいて、
 みんなで飲んだ。

 紙ふうせんのデザインにしたのは、
 とかく、富山の人はシャイだから
 宣伝下手である。とされる。
 しかし、越中売薬さんたちは、
 全国に足で歩いて、
 富山を300年も宣伝してきた。
 その先覚者に敬意を払って、
 一晩でデザインした。

 売薬版画を無料サービスで配った時代、
 よく使われた色インクが2色。
 ドイツから輸入された合成染料。
 安い、鮮明な洋紅と言われるマゼンタと、
 プルシャンブルーの組み合わせである。
 いきいき富山のマークに使った。

 棟方志功も富山で住んでいたことから、
 版画風に手仕事で、
 観光なのだから、富山の居酒屋へどうぞ、
 という感覚だったのだが。
 のれんによく使われた。 
 観光で気取ることはないが、
 先人の知恵に敬意を払い、
 富山から文化の発信をと願ったつもり。


 地方だから、泥臭くてもいいというのは、
 県民を甘く見ることになる。
 東京の人が、はっとするような
 センスがなければ、
 金沢を超えることはできない。

 さて、
 新しいキャッチフレーズから、
 どんなデザインになるのだろう。


日本のふるさとを見つめる人たち

2012年09月29日


         ガマズミが
         真っ赤々です。

         花言葉は、
        「無視したら
         私は死にます」
         おだやかでない。

         ことしは例年になく、
         赤い実がふさふさ。




         また、朝顔。
         ことしは日除けにならない。
         葉っぱはスカスカ。
         今ごろになって、
         屋根の上で満開。

         ことしの異常気象。




 日本のふるさとを描く
 
 向井潤吉展
 8年ぶりの、
 油絵を中心にした企画展です。
 会場へ入ると、
 心なしか、油絵の匂いが
 漂ってくるような気がします。




 吉江中学から団体鑑賞。
 県民カレッジ砺波地区センターから、
 研修講座として、開催も。
 石川県のあちこちから、
 公民館や絵画グループも続々。

 しかし、一番多いのは
 個人かカップル。
 しかも、
 滞在時間がいつもの2倍!
 時には3時間も!

 日本中にファンは多いが、東京の
 世田谷まで行くのはなかなか。
 わかりにくい場所。
 まして地方ではめったに見られない。
 酒井館長とのご縁で実現。

 絵画人口の一番多いのが洋画。
 じっくり鑑賞、というより
 技法を学んで、楽しんでいる感じ。

 家族連れの場合は、
 日本の田舎を旅しているみたい。
 「ほっとしますね」という方が
 とても多い。

 ゆったりと、
 日本の心を心行くまで
 鑑賞されている。
 図録の売れ行きも、
 いつもより多い。




 上市の伊折の民家。
 この小さな村で女優の左時枝さんが
 小学生を教えていた。
 (いま、朝日ふるさと美術館で作品展)
 南砺で山間の民家は豪壮な合掌の家。
 でも、ここは、実につつましい造り。




 稲塚権次郎さんの旧宅や、
 合掌造りを解剖した、資料展。
 市民ギャラリーで、きょうまでです。
 長谷川和衛さんの精緻なペン画。

 数十年前に描かれた、南砺の
 原風景が、奇跡的に蘇りました。




 また、きょう午後2時〜
 美術館研修室で、南砺市の出前講座。
 民家についてのお話。
 講師は、浦辻一成 南砺市の
 文化・世界遺産課課長。
 富山民俗の会会員で、五箇山の煙硝のことなど
 南砺市の民俗文化研究の第一人者です。

 席に若干余裕あります。無料

 姫路、網干の化学工場爆発事故。
 あの町に10日前に行っていた!
 あの辺は、化学工場の施設だらけの風景。
 








 



 

作者 : 奥のほそみち

石崎光瑤に感動し、棟方志功に共鳴するお仕事です。運転しないから、人の行かない裏通りや、細い道をひたすら歩く。 そこで見つけた話を紹介したい。 雪吊を 終えたる樹々の 斜塔めく          あさぎり         

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