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なんと万華鏡

南砺市には、いろんな花が咲き、がんばっている人がいて、面白いことが起きています。

はれあたまさん、がんばる

2011年12月01日

      けさの北日本新聞
      文化欄に、
      万華鏡20執念、じゃなかった
      発刊20周年の記事が
      載っています。



 現在、240号の
 取材、編集がはじまっています。
 この冊子に、最後のページ
 「この人ありて」欄は
 インタビューで、とても人気があります。

 この7月から、
 はれあたまさんに、担当が決まりました。
 書店でも販売の238号は
 華やかなカラーで
 日本で初めてのチューリップの
 原種探訪のテーマです。
 インタビュー記事が、
 話題になっています。
 取材相手からも好感が持たれています。
 
 もとはといえば、
 このなんと-eのブログでの実績が、
 高く買われてお願いしました。
 大変なときなのにもかかわらず、
 フォローしていただき感謝です。

 このブログから、
 次は、だれがデビュー?

城端線と女子高生を考える

2011年12月02日
        自然人という
        すてきな季刊誌。
        編集長は、
        北陸3県に全く関係ない。
        新潟出身で、
        東京から金沢へ。
        北陸3県で販売されていますが、
        富山の、若い女性の
        読者が増えているとのこと。
        とりわけ南砺市と
        棟方ファンです。



 12月1日発売の31号、
 自然人ならではの特集。
「偉人たちが見た 北陸の風景」
 表紙といい、企画といい、
 これまでにない円熟の内容です。

 登場するのは、

 橘曙覧、近松門左衛門
 松尾芭蕉、中原中也、大伴家持
 そしてわが棟方志功
など、

 錚々たる顔ぶれが15人。

 福光で描かれた、
 志功さんの立山の油絵のエピソードです。




 私も1ページいただいて、
「城端線で考えた。」のシリーズを
 連載はじめました。
 テーマは、
 城端線で通学する、
 かってのあこがれの女子高生。
 誤解を招きやすい内容。
 彼女らに読んでほしくない。
 でも、
 編集長は、1冊でも
 多く読んでほしいと、
 話がかみあわない…




200000号の花が咲きます

2011年12月03日

       写真家とともに、
       20年周年をむかえた、
       富山写真語(がたり)
       万華鏡。

       途中、3度も
       継続断念かという
       つらいハードルが
       重なって、乗り越えて、
       なんとか、です。

       みな読者あってのこと。

       おかげさまです。



 もうひとつ。
 ありがたいことに、
 このブログが
 
 200000の大台を、
 迎えます。

 困ったことも色々ありましたが、
 これも愛読いただいた、
 みなさんのおかげで到達目前です。



 記念に大盤振る舞い
 万華鏡の特別号をプレゼント!

 200000踏んだかたと
 前後の20人のかたにお贈りします。
 遠慮なく申告ください。




どんな花が咲くか?

2011年12月03日
       
      チューリップに
        こだわって、
     17種類を求めました。




 なんと、17種類。
 これまで、せいぜい3種類どまり。



         (これは昨年の庭)
  

 ホームマートで球根植え込みの
 便利な道具を求めました。380円。
 まあ、なんと安い。
 球根はひと袋5球で400円。
 けっこうな値段。
 晴れ間を見て、一気に。

 右側の5種類は、
 皇室献上の特別セット。

 クロッカスから
 カサブランカも入れました。

 ことしの春の庭。
 震災などで、鬱・ウツ・うつでした。
 せめて、庭先だけでも明るくしたい。

 どんな花が咲いてくれるか。




 まさか。
 これは、カザフスタンで見つけた、
 楽しい交雑種です。

 チューリップ球根は、
 長年、選抜を繰り返して、
 安定した品種にして市場に出ます。
 すぐ、20年ぐらいかかります。

光瑶さんちの紅葉です

2011年12月05日

        雨に濡れそぼった、
        紅葉の華やかさ。

        今しか味わえません。
        光瑶さんの美術館の 
        紅葉です。

        あと、2〜3日?
        20万の大台。








 ドウダンつつじを
 満天星とも。




加賀美人、新潟美人

2011年12月06日
 
        朝帰りで、
        遅くなってすみません。
        200000
        ありがとうございました。
        ゆるゆると、
        送らせていただきます。



        めまぐるしく変わる、
        世界情勢。
        初冬のお天気。

        傘マークが続くと、
        うんざり。

        出かけるときは
        やはり気になる。
      



 最近、講演が多い。
 北陸新幹線がらみである。

 金沢に比較して、
 富山の存在感の薄さは甚だしい。

 首都圏の住人は、
 ほんとに、富山を知らない。
 イメージも希薄。

 その理由のひとつに、
 NHKなどの天気予報がある。

 一日に何回か見る全国の天気予報。
 金沢、新潟は出るが、
 富山はほとんど抜け落ちる。

 秋田美人、新潟美人、加賀美人、
 京都美人と、一県おきに、
 美人の産地と言われることと、
 無関係ではない。

 徳川時代の雄藩のあったところ。
 したがって
 江戸からの
 お目付け役を酒色で
 コロコロにもてなす、
 「お座敷文化」が発達した地。

 江戸へ帰って、
 「あそこの女はえかったなあ」
 そんな江戸城中の会話。

 女を道具にした名残り。

 いまだに、
 天気予報の世界に、
 その面影が残る。

 あほらしい。

新しい手帳

2011年12月06日
        重い原稿、
        やっと書きあげる。
        5000字。
        東京からの依頼。
        南砺市の
        イメージアップになれば。

        ブログの短い文章を
        書くことに慣れると、
        長い原稿は、
        勝手が狂う。




 来年の予定が入りはじめたので、
 恒例の県民手帳を買う。

 県庁の統計課で発行。
 ずいぶん前に、ここの仕事していて、
 一般県民が使いやすいスタイルを
 提案して、いまの形に。
 ベストセラーになった。
 使いやすいですぞ。
 愛着がある。




 統計課だけに、
 とやまのデータ、数字が入り、
 何かと便利である。

 中には、ご存じの指標も。
 持ち家率日本一。
 かって、
 砺波市が日本一住みやすい都市と
 データにあった。
 一人あたりの畳数が大きい。

 現在は、空き家300戸。
 住みやすすぎたのか?
 
 家計の所帯収入・支出も
 東京についで日本で2番目。
 お金がありすぎた?




 火事の発生件数最低。
 ということは、最高。

 温水便器は日本一。
 なんでだろう。
 痔主は少ないだろう。

 サイドボード・リビングボード
 所有率日本一。
 どんな意味があるのか?
 いのさんなら、
 ウイスキーボトルでいっぱいかも。

 寒くなると、
 ウオシュレットルームが、
 第二の書斎がわりに
 しているからかも。

 関係ないか。






 


 

今晩あたりが…

2011年12月07日



       おかげさまで、
   
       今晩あたり。

       アクセス20万。

       あくせく続けた

       甲斐がありました…

       

       富山写真語・万華鏡の
       特集号を贈呈。

       ズバリ、ニアミス、
       前後賞。
       どうぞ深刻、じゃなかった
       きがるに申告ください。

       ゆる〜い判定します。 

忘年会第一号

2011年12月09日
        淋しくなる季節。
        散り際の彩り。

        淋しくなる頭髪。
        散り際は、
        涼しくなるだけ。




 早々と、忘年会、みたいなもの。
 地域の、
 知られざる、
 深刻な話題、情報交換。
 コミュニケーションの
 密度の高い、
 貴重な機会でしょう。




 宴たけなわでありますが♪




 ここで 
 ―― 起立!
 一本締め。


 10日は、東京へ。



うれしいお歳暮

2011年12月09日
   
        外出していたら、
        玄関に、
        シクラメンの
        鉢が置いてあった。
        メモに、
        原種に近いので
        いい香りがしますよ、と
        走り書き。




 40年前、彼女は
 印刷会社を退社することに。
 私は中途入社の最末端の
 一社員の分際で、
 上司の了解を得て、社内に
 机をおいて、アルバイトへ。
 出来高払いである。
 すばらしいセンスの
 イラストレーターだった。

 このやりかたで
 10人くらい、プロに巣立った。
 いまは、ほとんどが社長。

 彼女はほどなく結婚。
 でも、いまも現役。
 娘が花屋さんを開店した。
 いまも、ずっとお歳暮に鉢を
 届けてもらっている。
 仕事の付き合いは
 ほとんどないのに。

 前職定年でお歳暮は激減。
 しかし、あのころの苦労した
 仲間が、何人か同じように
 いただくのはうれしい。
 まだ、がんばっとるぞという、
 サインのようなもの。

 私も恩師など4人に
 50年間、盆暮れを続けたが、
 次第に柔らかい食品に。
 それも、一人欠け、2人欠け。

 そんな折に、
 心があったかくなる、
 シクラメンでした。
 
 
 

可哀そうな富山干し柿

2011年12月11日
 

        太平洋側は、
       腹が立つほど
       お天気がいい。







    我ながら、情けない。
    惨め―





 東京へ行く用事の一であった、
 ある訪問先が、
 汽車時間の都合で
 夕方になった。
 アポイントを車中で取ると、
 外で会議でダメとのこと。

 大事なところなので、
 奮発して「富山干し柿」を。
 ずっしりと結構重い。
 渡す相手がいなくなった。
 がっくり。

 結局、また持って帰る。
 改めてゆうパックで送ることに。
 この干し柿、
 東京へ2度の旅になる。



 昔の話。
 この包装紙のデザイン、
 最初は棟方志功さんに依頼。
 志功さんはすでに、
 越の白柿をデザイン。
 それでダメで、
 志功さんの親密だった
 城端の異色の画家、
 石黒連州さんが描いた。

 実家で干し柿を作っていた。
 ウチの中じゅう、
 三社柿の皮をむいたときの
 いい香りが充満していた。
 この絵のほうも、
 干し柿の里のイメージがあって、
 好きなのであるが…



向井嘉之さんのこと

2011年12月11日
       越後湯沢の
       スキー場はもう真っ白。
       開業はまだ。
       近年スキー人口の
       減少に悩む。



 日本青年館。国立競技場となり。
 大正期、戦後の昭和に
 全国の青年団が、縄など綯って
 まったくの自力で建てた施設。
 富山県の市長を何人も育てている。




 かって、民放ラジオの
 人気パーソナリテイ―だった、
 向井嘉之さんのジャーナリスト賞の
 授賞式がここで開かれた。

 向井さんのラジオを聞いて育った人は
 もう、それなりの年齢。


                (前列右から二人目)

 向井さんの業績は
 イタイイタイ病の報道史をまとめた労作。
 全国の100年間の新聞記事を
 7000点収集して
 調査分析したという、
 気の遠くなる仕事。




 100年前に、患者が発生。
 しかし、報道されたのは、
 なんとそれから50年後であった。
 みずからもジャーナリストとして、
 自責の念を込めての仕事。

 華やかな民放の退職後、
 大学講師、教授。
 多くの若きジャーナリストを育てる。
 その間、こつこつと作業し、
 奥さまがそれを支え続け、
 放送業界のすぐれた先輩の応援も。

 大病を患い、ようやく
 快方にむかわれて、
 富山へ帰郷された。

 この基金は、
 日本のピューリッツアー賞と言われ、
 さまざまな制約のなかで、
 良心を貫きとおしたジャーナリストに
 送られる、質の高い名誉ある賞。
 審査は厳格。




 沖縄まで含めた全国の受賞者。
 大賞は写真家の樋口健二さんで、
 戦後の原発の現場を50年間記録した、
 いま、話題の写真家。
 受賞のスピーチはみな感動もの。

 日本の錚々たる人たちが祝福された。
 数ある日本の賞では唯一
 組織的なバックもない、
 200人あまりの個人で運営されている。

 その中心になって支えておられるのは
 南砺市山本に疎開し、少年時代を送った、
 河合 力さんです。
 南砺市ゆかりの画家、荒井寛方の
 遺族たちが世話をされ、
 私もささやかな拠金をしています。


 高岡市立美術館長
 遠藤幸一さんが急逝。
 絶句。
 尊敬していた、これからの人。
 惜しい人を失った。
 棟方志功生誕100年展を
 福光美術館と共催できたのも
 遠藤さんのおかげだった。
 ご冥福を祈ります。








ことしの記憶

2011年12月14日

      そろそろ、
      ことしの回想。

      忘れられない記憶の
      1枚は、
      南相馬市の
      兄弟。




      長袖。
      外で遊ばない。

      みんな、
      顔も肌も
      真っ白だった。

      いま、
      どうしているかなあ。





長崎さんのお祝い

2011年12月15日

      NPO法人
      グリーンツーリズムとやま
      理事長の
      長崎喜一さん。
    
      ダブル受賞
      



 農業農村工学会賞
 この数年間、該当者なしという
 厳選された学会賞。
 農業土木技術者、朝日町蛭谷で
 地元住民と、全国の子どもたちの
 自然体験施設「夢創塾」を
 10年かかってつくりあげた。

 南砺市のメンバーが
 ずいぶんお世話、指導を受ける。

 あわせて、県の
 ふるさと教育とやま賞。

 この春、一緒にカザフスタンへ。
 万華鏡20周年特別号の
 チューリップ探訪のページで
 インタビューを
 はれあたまさんにしていただいた。



 ちょうど70歳の誕生日に。
 世界的チューリップ博士からお祝いを


 夏には、日本の登山家として、
 アメリカの有名な登山コースを
 10年かけて完全踏破。

 秋には、東北の
 被災者親子を受け入れて、はげます。

 歳はひとつ違いだが
 後をついていくだけで息切れがする、
 パワーの塊りのような怪人。

 もとはといえば、このNPO
 県議会のグリーン議員連盟で
 山辺県議が中心になっての学習会、
 そして、日本初の
 都市との交流による農山漁村の
 活性化に関する条例
から
 誕生したプロジェクト。
 数十年ぶりという、議員提案条例であった。

 過去、理事の中から2人の市長、
 議員連盟代表から1人の市長が誕生。
 農山村を元気にしょうという
 8年目の、
 とやまならではのネット。
 理事の半分は南砺市である。
 知られていないけど。

南砺の子どもたちが全国へ

2011年12月16日

      5400人。
      日本の美術家のトップの
      日本画・洋画・版画
      彫刻の人たちで構成された、
      (社)日本美術家連盟。
      昭和24年に創立。
      銀座一等地の美術家会館内に
      事務局があります。
      ユネスコなど国際的な連携窓口。
      文化省、全国の美術館にも
      影響力がとても大きい。




 連盟ニュースは、
 年4回発行の季刊。30ページ。

 そこで、初めての企画で、
 美術館を紹介することになりました。
 公・私あわせて800館。
 そのトップバッターに、
 南砺市立美術館が選ばれました。
 しかもカラー入りで3ページも。
 光栄です。
 (ちなみに、夏の第2回は
  新装なった上野の都美術館)


 選考の理由は、
 小さいながらも、棟方志功の
 疎開時代に焦点を当てたコンセプトと、
 新たにはじまった、
 子どもたちの鑑賞教育です。




 「戦災が地方に文化の種を蒔いた」
 棟方志功一家を支えた、無名の人たちを
 紹介させていただきました。

 「子どもたちに美術鑑賞教育を」
 南砺市内の子どもたち、
 その保護者で
 アートで遊ぼう、をテーマに
 文化課や、指導の
 みなさんの取り組みが
 ことし、スタートしました。
 中学生のプロジェクトも。

 南砺市の文化を愛する風土と、
 子どもたちが、
 全国に紹介されます。
 
 来年正月中旬発行。
 緊張しましたが、
 きのう、最終校正が終わりました。

  
     ― くたぶれた
 


      
      
      

がんもと、RAILWAYS

2011年12月17日
 
           がんも。

           いつも駅前のスーパーで
           「かやく入り丸山」
           買って帰ります。
           南砺の豆腐類は絶品。




 ちょっと、悩みました。
 つれあいに、連れて行ってもらって、
 RAILWAYS

 席が一つだけ空いていました。日中なのに。
 迷った理由は「がんも」ちゃん。
 昔にタイムスリップするのが
 なんだか怖くて…

 20歳すぎの頃、富山市で、
 若い仲間の文化サークルを
 いくつもお世話していましたが、
 親友に、地鉄の車掌さんが一人いました。
 中卒で10代。にきびだらけ。

 今も元気なIさん。
 2つ年下で、陽気な山男。
 南富山駅舎にある、
 研修所で、
 運転手の資格を取りました。

 ずっと、地鉄電車の運転手として、
 まじめに勤め上げて、定年。
 映画そっくりです。

 三浦友和と、当時人気の
 坂本 九を足して2で割った感じ。

 行きつけの富山駅前のおでん屋で、
 「がんも」を見て、
 にきびだらけの九ちゃんにもじって、
 彼をがんもちゃんと呼ぶか、
 と若い仲間に提案。
 以来、あだ名をがんもで、今も通る。
 すぐ、つべつべの顔になったのに。




 現役時代からナチュラリスト活動。
 立山の雷鳥調査を数十年も。
 富山の自然保護の大先輩でもある。
 
 映画を見ていて、
 三浦友和とがんもくんが
 重なって見えて仕方がない。
 ほんとに、何から何まで、
 そっくり。

 たまらず、
 昔の住所録をたぐって電話。

 元気な声が、数年ぶりに聴けた。
 そろそろ映画を
 観に行こうかとも言っていた。

 富山の自然のすばらしさ。
 宝物なんだ。
 でも、なんでも観光に直結させるのは
 いかがなものかなあ、と
 昔と変わらない。

映画・剣岳とレイルウェイズ

2011年12月18日

 

RAILWAYS

 富山を舞台にした映画が増えている。
 フイルムコミッションも、
 遅まきながら、活動はじめた。

 ずいぶん昔、1時間ものの
 35ミリドキュメンタリリー映画の
 地元プロデューサーを3年間。
 北陸3県を駆け回る。
 制作費今なら3億円くらいか。

 そのときの実感。
 映画作りとは、
 なんと、すさまじい世界か。
 思い出しても気が遠くなる。

 「剣岳点の記」は、
 原作、圧倒的な映像美。
 富山の風景の凄さをアピール。
 なのに、脚本がお粗末で損をしている。
 演出は、まずまず。

 「レイルウェイズ」
 東日本大震災のタイミングで、
 絶叫も無く、
 淡々と心に沁みる物語り。

 かっての日本映画の極地、
 小津安二郎の再来のよう。
 劇映画は、
 一に脚本、二に演出(監督)
 全国でヒットしてほしいものだ。

 富山市に40年住んだので、
 映画のロケ地は100%わかる。

 立山連峰の風景は、
 剣岳の映画と違って、
 押さえた感じ。
 絵はがき的にいくらでも描けるのに。

 東京の人たちに
 富山の風景に期待するのは、
 ありふれた、生活感のある田舎。

 地元とのギャップに気をつけないと、
 双方にズレが生まれる。
 観光といえば、
 すぐ絵はがきのような
 キレイ過ぎる風景を出したがる。
 
 この2つの映画を比較して、
 富山の風土の魅力の
 捉え方の差が感じられて
 興味深かった。

 南砺市も、売り込み方の
 発想を変えねばと危惧する。

南砺のかがやき

2011年12月19日
          栖霞園のひらく会
          食文化をテーマに、
          南砺の
          A級グルメ。
          どじょうのかば焼き
          かぶら寿司。
          成政の大吟醸に似合う。



   旧ベル2階、
   第5回 福光高校美術展



 正直、度肝を抜かれた。
 富山の県展へ出しても入賞しそうな
 迫力の大作ばかり。
 指導者の力量と、生徒の実力。
 将来が楽しみ。
 23日までです。
 南砺には500人の美術作家。
 人口比で県内随一の土地。
 それでも、
 一度は、
 この会場でショックを受けてほしい。
 23日までです。


         (2年 嘲る 工芸 村上有里さん)


 第41回 玄土社移山書展
 ヘリオスで。



 時女信子先生
 大塚智子先生らの活躍は
 とどまる所を知らない。

 日本で言えば東大。
 中国の精華大学でのグループ展。
 香港、遼寧省、と開催。

 中国では、
 南礪前衛書展として
 大々的に報道。
 4000年の書道の本家を
 引っ掻き回す、南砺の女性作家たち。
 藩陽区の少年の作品も、
 賛助出品されている。

 全国でも有名な臨模展作品も。
 前衛書の開拓者のみなさんが、
 中国の古典中の古典を
 かくも、熱心に
 研鑽されてきたのかと驚く。

 なんとも贅沢な内容。
 南砺で輝いている、
 若い女性、
 タフなベテラン女性。
 (男はどうしてるの?)

 棟方志功の疎開時代に、
 南砺市で蒔いた種だろうか。









キム総書記死去

2011年12月19日
       北朝鮮の
       キム総書記が急逝
       ビッグニュースが
       世界を駆ける。

       ことしの
       世界10大ニュースの
       ランキングがどうなる。



         (この写真は無関係です)

 60年前。

 不幸な朝鮮戦争。
 米ソの冷戦のはざ間で、
 中国の参入、
 その余波で、日本の戦後復興に
 はずみがつく。

 陸続きでない日本は、無傷。

 日本占領の基地の米軍は、
 根こそぎ朝鮮へ。
 基地には米軍の家族がいる。

 日米戦争の直後のこととて、
 反米意識が強いだろうとアメリカは、
 日本にいる留守家族を心配した。
 ムリもないが。
 そこで日本に警察予備隊を作らせた。
 自衛隊の前身となる。

 ほとんど、軍隊なので
 兵器の訓練が必要になる。
 その演習場の候補が、
 南砺市のど真ん中にある、
 立野が原旧陸軍演習場の復活だった。

 国だけでなく、県、近隣の町は
 すべて誘致に積極的に動いた。

 富山に基地があれば、
 ソ連の重爆撃機やゲリラから、
 黒部と庄川のダムの破壊から守れる。
 それも、理由だった。
 
 エネルギー源を叩いて、相手に
 ダメージを与えるのが
 世の東西を問わず、鉄則。




 食料危機を乗り切るために、
 立野が原へ入植者が200世帯
 すでに鍬をふるっていた。
 旧村民と、開拓者たちの強力な反対運動で、
 断念させたが、
 結局、石川県の内灘へ決まった。
 そこでも反対闘争。

 朝鮮半島の戦乱は、
 南砺市とは無縁でなかった時代がある。
 いまは、平和な
 干し柿の里である。




 また動乱の
 火種にならないことを願って。


 

泣き崩れる北朝鮮の人々

2011年12月20日
        9月に韓国へ。
        そば祭りツアーで。
        暖かいもてなしを受けた。



        町で見かけた
        郵便ポストは日本と
        そっくり。



 
 北朝鮮の映像。

 泣き崩れる人々。

 考えすぎかもしれないが、
 韓半島の人々の葬式には、
 「泣き女」が侍る。
 在日でも、体験したと聞いた。
 悲しい時の泣く専門の人たち。

 北朝鮮で、
 国営のテレビカメラを向けられて、
 演技、なんだと思いたくないが、
 あまりの激しい嘆きの姿に、
 ひっかかる。
 民族の文化なのかも知れないし、
 よくわからない。

 昭和40年前後、
 日本のマスコミはこぞって、
 金日成将軍の北朝鮮の
 国造りの素晴らしさを絶賛していた。
 理想の国、理想の政治と。

 在日の人たちは、
 喜び勇んで故郷へ帰った。
 富山駅前の通りには、
 その柳の記念樹が大きく育っている。

 (しばらくして、
  拉致事件が始った)


 そのとき、一方ではマスコミが、
 韓国を徹底的に叩いた。
 韓国を評価しょうものなら、
 周囲のあらゆるところからにらまれた。
 日本との緊張関係はひどかった。
 今日の韓流ドラマなんて、
 とてもとても想像できない。

 今どきの若い人には、
 信じられないだろう。
 事実なんだから…



万華鏡の編集会議

2011年12月20日
 
       おかげさまで、
       富山写真語・万華鏡
       第240号。
       ストーブは初めて火入れ。

       月に1回の発行ですが、
       月刊雑誌ではありません。
       独立した写真集です。
       雑誌なら、
       次の月には二束三文。

       バックナンバーは
       創刊以来、500円です。





 写真家の風間耕司氏
 富山の土門拳。
 いや、土門を超えている。

 東京から移住、
 50年間、
 富山の魅力を撮り続けている。
 その確かな眼線が
 タフな行動力が、
 ギネスブックものの活動を
 現実のものとしている。

 過去3回、危機。
 発刊を危ぶまれつつ、
 なんとか支援者のおかげで持った。
 今も台所事情は変わらない。

 相棒の印刷会社制作チーフ。
 まだ若い。
 しかし、デザイナーとして、
 すべてを任せられる、
 極めて貴重な存在である。

 今回のテーマは、
 滑川の絵馬。

 しかし、特別扱いに
 福野・安居寺の絵馬も。
 全国的に有名であるが、いろんな
 写真家がトライしても不可能に近い、
 厄介な空間である。
 それを、見事にクリアー。
 プロの執念であろうか。
 
 南砺に、あまり知られざる文化財。
 240号は年末配本予定。



城端時報はおもしろい

2011年12月22日
 
       なんだ
       へちまだ さんから
       素敵なプレゼント。

       城端時報
       複写版4点を。
      
       これが面白い。



 大正13年2月11日創刊。
 そのほか、昭和14年の休刊号、
 昭和21年の再刊号、昭和27年の
 昭和の大合併特集号をいただいた。

 創刊号の信条。
 地方文化の第一線。
 産業と教育が第一。

 不偏不党、個人の名誉を
 断固として守る。

 大正13年ですよ。
 城端の文化・政治レベルの高さ!



            城端中学で講演の
            山本哲也さん 22年7月
 

 平成23年の
 北日本新聞地域社会賞に
 城端時報社の山本哲也さんが
 受賞された記念に、
 複写されたもので、貴重。
 (城端図書館でマイクロコピーが
  すべてされたとのこと)

 
「美術について」 
 文化欄では、

 荒木和朔氏が、
 欧州旅行から帰ったばかりの
 日本画家、石崎光瑤の
 談話が載っている。

 戦後のヨーロッパでは…あれ?
 光瑤さんは
 戦後すぐ病に臥せられた
 はずなのに、
 と思ったら
 これは、
 第一次世界大戦のことだった。

「美術の話が
 出ると、きまって
 ブルジョア階級の慰みものと、
 避けてしまふ人が多い。
 美術品は相当に有るのですから、
 美術館の建設が、
 望ましいものです。

 また、
 自分がそれを所有しなければ、
 美術眼が養ふことが
 不可能と断定するのは、
 誤りであると思ひます。




 日本では、
 美術館が非常に少ない。
 欧州旅行中、独逸の、
 或る小さな町で、
 美術館を建築してゐた
 のには驚いた」と、語っています。
 参ったなあ!

 それから約80年後、光瑤さんの
 遺族から写生画450点を寄贈され、
 その条件が
「美術館を
 つくること」
 でした。
 それがきっかけで、
 福光、南砺の
 美術館が生まれたのです。

 そんなことがわかる、
 城端時報でした。
 へちまださん、
 ありがとうございます。
 

  

ミタ。見た。

2011年12月22日


        庭の落ち葉のかげ、
        初雪の間から、
        ヒラタケらしききのこ。
        コンソメスープに。

        朝、目覚めたとき
        二人とも生きてたねと
        顔を見合わせる。
        おいしかった。




 あさぎりさんのブログ。
 家政婦ミタ

 坂の上の雲や、連続ドラマは
 めったに見ない。
 継続して、見られないのと、
 事実は、いつもドラマより
 ドラマチックと思っているから。

 気になっていた、ドラマの
 最終回だけ、遅くまでミタ。

 わがつれあいはゼロ歳から母子家庭。
 私は、10年間父子家庭経験で
 2人の家政婦さんにお世話になった。

 どんな家庭にも、
 やむを得ない事情が生まれる。
 他人が、家庭に
 深くかかわることの軋轢は、
 身につまされた。
 見たくない。見たい。見た。

 あさぎりさんも書かれているように、
 末っ子の演技に泣かされた。

 クールに、現代の
 家庭の在り方をぐさりぐさりと刺す。
 
 平凡な、喜怒哀楽の
 普通の家庭がいちばん
 


 

サンタさんがやってきた

2011年12月24日


      
       我が家にサンタさんが
       ケーキを持って
       やってきた!




 この季節、生協さんのサービス。
 ケーキは頼んだが、
 普通の恰好でいいですよと、電話。
 でも、スケジュールがあるからと、
 サンタさんがおでまし。

 「お孫さんは?」
 まだ、おらんがです。
 「はあ〜」
 お互い顔を見合わせる。
 こちらの白いヒゲはホンモノだぞ。

 今夜は、
 じいじとばあばの
 イブなのです。
 とっておきのワインで。
 ちゃんちゃん
 

仏教徒のクリスマス

2011年12月25日

         清いのかどうか
         イヴの夜。
         要するに、
         ケーキを食べたかった。
         ステーキを食べたかった。
         それだけ。
         ワインは奮発。



 つれあいは真宗西本願寺

 なのに、声楽の関係もあって、
 イタリア神父さんたちと、
 イタリアまで旅行する、
 まるでカトリックの世界。

 私は、お東さん。
 初詣は、大好き。

 利賀村の瞑想の郷づくり。
 チベット仏教のニンマ派。

 同じく、ブータン展も、 
 同じニンマ派のチベット仏教。

 先日、金沢の
 鈴木大拙館へ。

 禅を世界に広めた人。
 来年2月に、
 南砺と金沢ゆかりの集いで、
 禅宗の大拙さんの講演が予定。

 あーめん

城端時報はおもしろい‐?

2011年12月25日
       城端時報復刻版―?
       昭和27年5月20日号
       昭和の大合併の
       祝福記念号。



 59年前の5月1日、1町4ヶ村が
 合併して、城端町が誕生した。
 すんなりとまとまったようだ。

 その裏面に、となりの、
 福光町の合併の経緯が
 詳しくルポされている。
 不謹慎かも知れないが、60年前の記事。
 もう時効でしょう。
 このときの福光での合併は
 なかなか一本化できず、何かと
 大変だったようだ。
 いまも思い当たるふしがある。
 

 よその地域のことまでよくわかる。
 コミュニテイペーパーの記録性の
 面白いところでもある。



 ところで、
 この数日、
 ニュースで流れた朝日町の政変。
 大局を選択した町長。

 町の問題ではなくて、
 ある市のエゴの
 とばっちりなのである。

 加えて、この春の
 選挙の遺恨が
 吹きだした。
 大半の町議が前職を支持し、
 意外な結果に、
 住民の前で赤っ恥をかいてしまった。

 選挙の投票で選ばれたはずなのに。

 さらに、根が深いのは
 この地域は大企業の城下町。
 いまは、あまり関係ないが、
 数十年前の企業誘致にかかわる
 利害がときどき見え隠れする。

 新幹線の新駅決定にも
 影響しているかもしれない。

 富山湾と、国道8号線に結ばれた地域。
 大災害時、助け合わねばならないのに、
 連携よりも、独善を選んだ。
 いまのままで、いいじゃないかと。
 
 目先の損得と
 過去の恨み。

 マスコミは詳しく報じられない。
 ここに、城端時報のような、
 ミニコミがあれば、
 住民の情報源になっただろうに。

 新川地方は南砺市では、
 考えられない政治風土です。

 60年前の地域の生きた記録が、
 いろんなことを想起させて、
 興味が尽きない。
 

廃刊の辞(複写版より)

2011年12月27日

       どかっと、
       もう根雪か。
       雪かきも
       運動だと思って…

       わが隠居ハウス
       薪ストーブが
       ありがたい。





 城端時報、昭和14年1月。
 翌年、私は生まれた。

 15年続いた城端時報が
 廃刊(休刊)となる。

 日本が中国へ侵略はじめた。
 アメリカは日本へ制裁。
 パルプの輸入が途絶えて紙不足。

 タブロイド判の小さな新聞。
 それすらも国家統制を受ける。
 真珠湾攻撃は、さらに2年後。
 そんな状態で無謀な戦争に突入した。
 
 すでに、言論統制は強化され、
 ちょっとでも、
 戦争に反対しょうものなら即抹殺。

 共同、時事、電通などの通信社は
 国策の「同盟通信」になり、
 銀行、地方紙、電力会社も
 どんどん合併させられた。

 当時通信社はそれだけで食えないので
 広告部で稼いでいた。

 その各通信社の広告部は
 電通一本になった。

 それゆえ、電通の大半の株は
 現在も共同通信と時事通信が握っている。
 社長は一介のサラリーマン

 城端時報・廃刊の辞には、
 いつの日か堂々と再刊したいと、
 悲痛な文面である。
 

 おまけ:
 戦後、その電通は、広告界に君臨する。
 今も世界一。(単体で)
 その財務体質を一貫して築いたのは
 城端出身の嶋田喜五郎さん。
 副社長にまで。
 富山県人らしく、バブル期にも
 投機は絶対許さなかったので、
 はじけたときも無傷だったと言われる。
 すてきな紳士だった。





南砺への学童疎開

2011年12月28日
    66年前の
    ちょうど、いまごろの季節。
    東京都心部の小学生たちが、
    一日夜汽車にゆられて福光へ。
    みぞれの中を歩いて、
    福光駅、福光小学校、
    そして40分はかかる、
    立野が原の陸軍演習場の
    宿舎までたどりつきました。
    やっと、あったかいふとんに
    2人ずつくるまって寝られた喜び。
    そのときの絵日記です。

    引率の先生は、
    児童に絵日記をかかせていました。
    それが数百枚残されています。
    日本の学童疎開の
    貴重な資料となっています。





 今日の北日本新聞に、
 富山県近代史研究会副会長の
 須山盛彰先生が、
 学童疎開の長年の研究について
 記事が出ています。
 先生の15年にわたる調査では、
 1万5000人の子どもたちが
 1年あまり富山で暮らしたという。

 戦争で、都会という都会が
 B29重爆撃機の空襲で焦土になった。

 いまの東日本大震災の
 数十倍の悲惨な人災であった。




 4月に、八幡宮神社前で記念撮影。
 いちばん大変だったのは、食料。
 城端や福光で世話をした人たちの
 ご苦労は、筆舌に尽くせないと言われます。



 引率の先生は、このあと
 子どもたちが日に日に痩せていく姿に
 東京の保護者たちに心配させまいと、
 写真は撮れなかったといいます。

 小杉の村の村長と住職が、
「村の子どもらは芋を食わせても、
 東京の子どもらには銀飯を食わせろ」と、
 厳命しました。
 今も、両方の小学校どうし、
 3世代目の交流が続いています。

 福光では、父親が狂言の人間国宝の
 野村万蔵さんでした。
 お礼に、終戦後、わざわざ
 狂言の舞台を演じています。

 図書館の石崎俊彦さんは、
 ことのほか、子どもたちの教育に
 面倒を見て人気がありました。
 いまも、その当時の人たちが、
 横浜や東京で、
 福光時代の絵日記展などで活躍中です。
 80歳を超えたにもかかわらず、
 石崎さんらのことを懐かしみ、
 南砺で避難生活をした体験し、
 世話になったことを忘れずにおられます。

 (万華鏡223号「学童疎開」に特集
  須山先生も執筆)

 
 敗戦で、みんなが苦しんでいたとき、
 農村が、かろうじて日本を支えました。
 ソビエト連邦崩壊の時も、
 農村に家庭菜園を持っていたので
 現在のロシアはパニックにならなかった。

 いざという国難のとき、
 TTPのあおりで、
 日本の農村が荒廃していたら、
 非常時のときの、
 受け皿はありません。

あった!南砺の「辻占」

2011年12月29日
       南砺地方の
       全国でも珍しい、
       「辻占」が
       菓子店頭にお目見えです。
       絶滅危惧種?です。
       よかった!



 1年前に、
 富山写真語・万華鏡の
 228号に特集「辻占」の号は好評で
 珍しく完売になりました。

 昨日、美術館に注文があり、
 在庫はあとわずか。

 昨年の暮れ、
 山道夫妻に取材をお願いしたら、
 断られました。
 もう、続けないかも知れないと。
 人を介して、ぜひ記録に残したいと
 頼みこんで撮影。

 遠く、朝日町からまで、
 お茶の先生が、
 「初釜」にぜひと駆けつけられた。




 全国にあった、江戸の花街文化。
 今ではほとんど、南砺だけ。

 乃木将軍が、金沢連隊へ出張し、
 辻占売りの少年を励ました。
 その後、金箔で成功。
 この話は浪曲や講談本、教科書に
 大々的に取り上げられて、
 全国に知られた。辻占売りの銅像は
 あちこちにある。

 東京の乃木神社にある、銅像を
 わざわざ撮影に行った。

 金沢の辻占も存在するが、
 オランダ伝来の
 アル平糖の細工菓子の方は
 ここだけ。そしておしゃれ。
 来客には
 ことのほか喜ばれる。
 なんとか、日本唯一の
 この貴重な細工菓子文化を、
 伝承の方法はないものか。

 婚活イベントに
 おすすめですぞ



C級グルメ誕生

2011年12月30日
        五箇山の赤カブ。
        もったいないことに、
        葉っぱは、
        ほとんど捨てていた。



 長野県の木曽では、
 「すんき」と言って、
 赤カブの葉を漬け込んで、
 発酵させた特産品がある。

 刻み漬けすんきの
 味噌汁は、サイコ―!


 だし汁に味噌仕立て。
 沸騰したところで、すんきを
 トッピング。
 甘酸っぱくて、
 赤カブ特有の味わい。
 舌がうなる。
 もう一献をと所望したくなる。


 これに取り組んでいるのは、
 福光・新町の
 テーラーモリタのご主人。

 五箇山の、
 赤カブ名人と一緒に
 密かに試作中。
 現在はC級グルメ。
 そのうち、A級に昇格する可能性。
 
 すんき汁、
 すんきうどん、
 すんきそば、
 すんきおやき、
 すんき白和え。
 酒のつまみ。
 メニューは限りない。

 発酵食品としては
 最上級の健康食品でもある。





ことしの忘れ得ぬ出会い

2011年12月31日

             いろんな出会いの年でした。
             お世話になった方。
             忘れられない、この人たち。
            ちょっと、忘備帳に。




 堀 文子さん。93歳。
 楽しいお酒と、お話。



 チューリップ博士アンナさん
 原発事故で来日できず。
 カザフスタンで再会できました。



 おなじく、通訳のマルジャン。



 刀利ダム50周年式典で、
 亡夫のふるさとを本にした谷口典子さん。
 日本ペンクラブの詩人で経済学者。



 松村謙三先生没後40周年
 おなじみの遺族のお二人。



 みんなで農作業in五箇山
 黒田教授(手前)と筑波大学院学生



 南相馬市の子どもたち



 南砺市を手本にした李さん
 晩秋には利賀村へキムチの指導に。



 富山文学館の館長に就任
 万葉学者の中西進先生。愛染苑へ。



 ブータン展のオープニングに、
 北陸銀行の高木頭取がメッセージを。



 なんたって、関口照生夫妻、というより
 やっぱり竹下景子さん。



 キルトの岡野栄子先生。
 南砺にぱっと花が咲いたような人。



 じゃんとこいむぎや
 彼女たちの笑顔がステキ。



 ブログで、仕事で、祭りで
 子育てにがんばった
 この浴衣美人さんも。
 ことしのブログ大賞をプレゼントしたい人。

 

 南砺を、いろんな人が
 賑やかにしてくれます。
 来年は、あなたかもしれません。

 ことしは、大変な年でした。
 では、
 いいお歳を、じゃなかった 
 いいお年を。
 






























作者 : 奥のほそみち

石崎光瑤に感動し、棟方志功に共鳴するお仕事です。運転しないから、人の行かない裏通りや、細い道をひたすら歩く。 そこで見つけた話を紹介したい。 雪吊を 終えたる樹々の 斜塔めく          あさぎり         

2015 年
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