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なんと万華鏡

南砺市には、いろんな花が咲き、がんばっている人がいて、面白いことが起きています。

あの平内好子さんのこと

2011年03月01日
     もう春の陽気と
     安心していたら、
     また、
     雪だるまマーク




 NZの災害に遭遇の、
 平内好子先生。

 テレビ映像でも、 
 全国区で登場。

 わがつれあいの、
 かっての上司でもあったので、
 なぜかわが家まで、
 週刊文春の記者がやってきた。

 非の打ちどころのない
 人格、センス、能力の人だったという。
 絵に描いたような、
 しあわせの階段を、
 自分の足で、確実に登っていった。

 定年を迎えたら、
 ああ、こういう選択肢もあった、
 うらやましい。
 そういう印象だったと
 つれあいは語ったそうだが、
 皮肉にも、それが裏目に出た。

 ご主人と、家庭菜園。
 いちごを、どっさりと
 家まで届けられたこともある。

 同僚で、理科の先生を紹介。
 ただいま、
 卒業式の予行演習中、 
 でも、どうぞの返事。
 記者は、締め切りぎりぎりだが、
 すぐその先生のところへ
 すっ飛んでいった。

 月刊で万華鏡の編集を、
 企画するときに、
 テーマに最も近い、深い情報を
 持っている人を、
 芋づる式にたどっていく。
 ある種の勘が求められる。
 地元の場合、
 特にマナーに気を使う。


 取材の苦労がよくわかる。 
 身につまされる。
 ごくろうさんです。 

独りぐらし

2011年03月03日
 
       どっちが先か
       わからねど。

       いづれ、
       独りぐらしがやってくる
       昨今、
       珍しいことではない。


 つれあいが、
 一泊の北信越のある会合へ。

 きょうは、
 人間ドックのため
 朝飯は独りで…
 そんなことが続くと、
 
 ひごろ、当たり前の生活の
 ありがたみが、実感できる。




 そこで、
 「漁師のあさまま」

 食の伝承人に習った。
 (大網元の奥さん)







 5分でできる朝食。
 お湯を沸かす。冷や飯を放り込む。
 どんぶりに一杯。
 小魚をさっと醤油みりんで
 煮付けて、菜っ葉を炒め、
 できあがり。

 早朝の漁師は、午前3時。
 これを何杯も掻っこんで、
 腹をあっためる。
 女房も未明の支度に、
 時間がかけられない。

 青物がないので、
 わさびと、梅干、海苔。
 
 食べるのに5分、
 後片付けに3分。

 手っ取り早いが、
 将来、独り暮らしの可能性もある。
 パートナーに感謝しなくっちゃ。

 夫に先立たれた女性は
 みんな長生きする。
 その逆は、せいぜい2〜3年と、
 よく言われる。
 男はもろい。

 実際は、
 こんなことでは、すまないのは、
 わかっているけれど。

 

 

危機管理のこと

2011年03月03日

     春の淡雪かと、
     油断していたら、
     あっというまに真っ白。
     しばらくして、
     また、陽がさす。
     富山県民にとっては、
     追悼の雪か。



 NZの捜索中止とのニュース。
 週刊文春にも特集された。
 コンビににも義捐金ボックス。
 それにお釣りを入れるぐらいしか、
 できない虚しさ。

 全国区でいえば、
 朝日の社会面記事が秀逸だった。
 こういう非常時のために、
 地方支社がある。

 追悼、といえば、
 予期せぬ災害に遭遇したとき。
 思いもかけぬ、事態。

 危機管理は、
 どんな組織でも、不可欠。

 おぼろげなテキストの記憶から。

 「迅速な情報の一元化」
 組織のトップは矢面に。
 それをフォローする、
 広報責任者に、
 すばやく、すべて最大もらさず、
 情報を集中させる。

 マイナス情報も
 絶対隠してはならない。
 かくせば、
 必ず裏目に出てしまう。

 言うは易くである。
 ほとんどパニック状態のとき、
 威力を発揮するのは、
 常日ごろの、
 コミュニケーション。

 徹底しているのは、
 南砺市の場合、
 五箇山地方である。
 自然災害の宝庫みたいなものだから。

 実は、
 イベントや祭礼は
 いざというときの組織力の
 訓練になっている。
 観光や、地域の賑わいづくりだけでなく、
 防災訓練の役割という面がある。

 よく、組織内での不祥事。
 こんどの金沢での殺人事件。
 身内の対応のすばやさは、
 委託社員とはいえ、
 有無を言わさぬ、プロの仕事。

 人間の弱点から派生する、
 不祥事は、予防できる。


 平生の行い。
 特に気をつけることは、
 「情報を私物化する」人間。

 自分にだけ都合のいい話。
 ミスなどのマイナスの話。
 それを抱え込む。
 相手に思いやりのないタイプ。
 お土産を買ってこない。
 自分に利のあることには敏感で、
 実に悪知恵が働くものだ。
 親友はいないことが共通。

 たいてい、
 職場の空気を険悪にする。
 いくつもの職場で見聞してきた。
 見ていて、見当がつく。

 それに引換え、ふだんから、
 プラス、マイナスの
 情報を共有できるタイプは
 まったく心配がいらないし、
 信頼できるが。

 お金に関する場合、
 「信じて信ぜず」だと、
 都市銀行出身の経理の幹部から
 教わった。

 なるほど。
 
 
 

  

吉田龍象さんと棟方志功

2011年03月05日


       吉田龍象さん
       お寺を持たない、
       フリー?のごぼはん。
       大谷大学で、
       鈴木大拙らに学ぶ。





 棟方志功が、
 もっとも親しくしていた、
 数少ないひとり。
 超貧乏。極貧。

 しかし、その人脈は
 清澤満之、暁烏敏、鈴木大拙など、
 半端でない。

 何度も、棟方志功と、
 昭和20年代の初めに五箇山へ。
 赤尾の道宗さんに逢うために。

 その貴重な著書が、
 棟方志功記念館・愛染苑の
 石崎コレクションにある。

 棟方志功が、
 南砺市でどういう思想遍歴をとげたか、
 そのころの交遊が、後の作品に
 どのように影響したのか、
 興味が尽きない。

 現在、南砺市に疎開していたときの
 支援者、故石崎俊彦の生涯掛けた、
 棟方志功の資料が、
 ほとんど未整理のまま、
 ダンボール箱にぎっしり3杯。

 2年計画で、着手。
 従来、言われてきた説を
 裏付けたり、ひっくり返したり、
 何が飛び出してくるか、
 わからない。

 全国にわたる、
 ムナカタ研究の拠点として、
 根気のいる、しかも
 南砺から発信できる宝の山である。

この冬、いちばん頼りになったこいつ。

2011年03月06日
 

     深夜に珍しく、
      ご帰還。
      あさぎりさんの
      秀句ではないけれど、

      玄関前で、
      夜空を仰いでみると、
      北斗七星が凍りついている。

   



 このところ、
 この冬は、
 ことさらに雪の中に埋もれて、
 パソコンとにらめっこ。

 こんなときに、
 何よりも頼りになったのへ、
 薪ストーブ。

 数年間、溜め込んだ、
 薪や、柴、すんばの袋が
 みるみる減った。

 朝、5度くらいの室温が、
 エアコンと併用すると、
 3時間もすれば、
 18度くらいに上昇する。
 お茶も、コーヒーも、
 すぐに入れられる。

 薪ストーブは、
 炎を見ているだけで、
 暖かくなってくる。

 おかげで、庭の杉葉はきれいに、
 小枝もきれいに片付く。

 灰の始末が面倒だが、
 県内の旧家に残っている
 「灰納屋」が
 欲しくなるほど。

 ま、それも楽しみのうち。


南十字星のもとに…

2011年03月07日
        こともあろうに、
        NZの地震での
        最初の遺体確認が
        平内好子さん 



 今朝の北日本新聞の追憶。
 演劇の守山進さん。
 40年におよぶ、仲間だった。
 30年前の置県百年記念式典の
 演出をお願いして、大成功。
 富山県の新たなイメージ確立の
 幕開けであった。

 平内先生の悲報。

 10年前に、富山県の
 教育界の歴史を塗り替えることが
 進行していた。

 県立富山女子高、新川女子高、
 そして砺波女子高の廃止。
 代わって単位制高校の誕生、
 加えて、県民カレッジの開講である。

 当時の文部省もあきれるアイデア。

 半世紀以上に及ぶ伝統ある女子高。
 それを閉校して、新たな学校を
 2つ開講する。
 それも同時進行だから、3つの学校が
 同じ人数の職員で、
 運営することになった。

 たまたま、
 砺波女子の学校運営審議会会長を
 仰せつかったので、現場の大変さを
 目の当たりに。
 3つのカリキュラムが必要、 
 ということだけでも、
 気の遠くなる仕事なのだ。
 
 わたしのつれあいが、
 みどり野高校に赴任していたので、
 両校で起きていた戦争を
 見聞している。

 その大変さを
 人柄と努力で乗り切ったのが、
 平内校長だった。

 誰よりも、第二の人生、
 生涯学習の大切さを若いうちから、
 よくわかっていて、
 みずから実践された矢先の出来事。

 みずから学ぶ、
 生涯学習の星として、
 南十字星とともに、
 輝くことになった。

 

 

ブログが、ミニ炎上

2011年03月08日

           なごりの雪か  
           清めの雪か




 このブログが、
 ミニ・炎上したようです。

 NZ地震に
 尊い命を落とされた、 
 平内好子さんの
 追悼コメントと、
 
 非常時の危機管理のことを
 書いたことが、
 外からのアクセス急増に
 なったのかと思います。

 自宅まで、
 自家菜園のイチゴを
 届けていただいた、
 平内先生のご冥福を
 あらためて、お祈りします。
 まだ、確定していない、
 多くの若い生徒たちとともに。

 若い人たちの
 夢を叶えるための人生。
 かえって、
 10代の仲間に囲まれての
 生涯であったことも救い。

 
 

 最近、
 古くからの友人が、
 このブログを
 あちこち紹介されて、
 恐縮している。
 アクセスもおかげで、
 急増した。
 感謝したい。

 実験的な、地域限定の
 ポータルサイトであったはず。
 南砺市発の、
 南砺市から情報発信の
 役割と、可能性がある。

 それこそ、日本で初めてで、
 いまの日本の、
 地域活性化に立派に貢献できる。

 お金はかけなくても、
 コミュニケーションは、
 じゅうぶん、取れる。
 ネットは、手段。
 やはり、人と人のぬくもりが
 決め手となる。
 
 新しいチャレンジも大切だが、
 せっかく育てた財産を、
 どう発展させるかも、
 知恵のみせどころ。
 なんと-e.comの
 ブラッシュアップと
 見直しをしてはと思う。
 そのほうが、
 立派な、
 ビジネスモデルになる。
 (儲かる!)

道の駅のがんばり

2011年03月08日

        雪あかり祭り
        その写真コンテスト
        審査会です。



 第12回目。
 すっかり定着してきた。
 今年は、ダントツに
 いい作品が多い。
 応募者も、北陸一円から。

 私のモノサシ。
 地域イベントが成功するか、
 失敗するかの分かれ目は、
 アマチュアカメラマンが、
 熱くなるかどうか、で
 判断することにしている。
 「絵になる」センスが決め手。

 お天気は、真冬なので荒れるが、
 そのぶん、
 ドラマチックな秀作が多い。




 このイベントは、
 3度楽しめる。




 美術館で全国公募の、
 年賀状の優秀作も題材になる。
 ありがたい。

 それを3ヶ月間、
 いろんなボランテイアで
 大きな紙風船に描く。
 なみの仕事ではない。
 生徒や地区民の協働のアート作品。

 そして、不安定なお天気に、
 タイミングを見て、打ち上げる。
 いよいよ、
 全国区に育ってきた地域イベント。
 10年継続してようやくの世界。

 道の駅は国。しかし、
 運営は、地元のみなさんの
 出資と、ボランテイア。

 全国的にも、これだけ地域の
 活性化にがんばっている
 道の駅はないはず。

 南砺の特産品も、
 しっかり支援している。




 中心になっているのは、
 地域の平均年齢70歳の
 いわば、高齢者たち。
 地域イベントによる活性化、なんて
 軽々しく若い人たちや、
 外部の先生がたに言ってほしくない。
 
 自分たちでシナリオを書き、
 楽しく汗を流す。
 その遊びごころと、センスが
 地域に多大な貢献をする。
 イベント大賞をさしあげたい。

 頭が下がるひとたち。
 




確定申告は深刻

2011年03月10日

      しつっこいねえ
      この雪。
      きんのは雷、吹雪。

      



 いつも、この時期、
 頭が痛いのは、確定申告。
 ずっと前から、
 毎年、領収書やら何やら、
 テーブルに広げて格闘する。




 金額はたいしたことないけど、
 まじめに取り組む。
 講演の数百円の源泉などの集計。
 保険やら、なにやら、
 記入のしかたが、わからない。
 こういうのは苦手。

 でも、ちゃんとしないと、
 税務課のコンピュータには
 100%捕捉されていて、
 あとで冷や汗をかく。

 何とか早めに飛び込んで、
 実に親切な、担当者に、
 細かく手伝ってもらって、
 無事終了。
 なにがしか、戻ってくる。

 「ありがとうございました」
 税金を納めて、
 お礼を言いたくなる、
 不思議な気分。

 ま、義務を果たした爽快感。
 で、1年たつと、
 また書き方を思い出せなくなる。

 庶民の税金、
 大切に使ってほしいけど、
 なんで、それでも
 国の借金が増え続けるの?
 


何という、大津波。

2011年03月11日

   なんという、
   衝撃的な映像。
 
   天災は、
   忘れたころにやってくると、
   寺田虎彦。

   忘れないうちに、
   やってきた、巨大地震と、
   大津波。

   NZだけで、
   あれだけのショック。
   これは、
   またケタ違いだ。

   映像の力は大きい。
   しかし、
   何もできない。
   被害が、せめて少ないことを
   願うしかない。
   夜や、食事時期だったら、
   もっと危ない。
     

これは、みんな、あなたの財産です。

2011年03月11日
         あいかわらず、
         寒い日。

         あの坂上二郎さんが、
         亡くなった。
         暖かい人柄が、
         みんなに好かれていた。
         なかなか、できないこと。



 ちょっと、暖かくなる話。

 あすから、福光美術館で、
 収蔵品展の

 「美のシンフォニー」
 実は、
 冬場は、光熱費の制約、
 企画費など予算の制約から、
 美術館の所蔵品で企画するところが多い。

 館の自慢の作品を、
 より美しく、めばえがするか、
 学芸員たちが、
 腕によりをかけて、選び、
 照明にまで気くばりした、
 会場自体が作品です。

 先日の市議会で
 議員さんから質問があり、
 その機会にということで
 美術館の収蔵品が、
 現在、どのくらいあるのか、
 中間調査をしてみた。

 旧福光町時代のコレクションが
 大半であるが、
 合併して、南砺市となって
 新規購入させていただいた、
 石崎光瑤、棟方志功の名作、
 そして、
 所蔵家からの「寄託作品」も、
 最近急増している。
 公開展示が条件であるが。

 もちろん、「寄贈作品」も、
 選定委員のメガネを通して、
 厳選して受け入れている。

 総数は、1000点を超えた。
 金額は…
 ご想像にお任せします。


              初公開 石崎光瑤 麗日風鳥

 すべて、南砺市民、
 あなたの財産なのです。
 これから、
 運用が期待できる原資です。

 おそらく、北信越で、
 公立としてはトップクラス。
 棟方志功や、石崎光瑤の
 名品が、さらに名品を呼んでいる。
 そんな実感ですね。

 この1年、
 全国の国立や県立クラスの
 美術館への貸し出しが
 急増しています。
 
 観光バスのコースに
 組み込まれることも増えて、
 ありがたいことです。

 あすは、開会式はありませんが、
 年間を通じて、1回だけのチャンス。
 2週間かぎりの、
 贅沢なあなたのお宝展へ
 おでかけ下さい。
 きっと心が暖まります。

 20日の夜に、
 記念コンサートも
 計画しています。


 
 

 



TSUNAMI 海外でも

2011年03月12日

  大津波は
  海外でも大きく報じられて、
  オバマ大統領も
  叩き起こされたという。

  夕べも、
  カザフスタンの友だちから、
  案じるメールが。

  TSUNAMIは、国際語
  南砺市で、
  ガラス工房のSさんの、
  奥さんが、「ちなみ」さん。

  北欧やヨーロッパで、
  生活しながらの体験から、
  「ツナミ」という名前に、
  びっくりされたとのこと。

  今度の、
  衝撃的な映像が、
  世界中に
  衝撃を与え続けている。

  あちこち、
  消息、安否を
  手分けして、確認している。

ますます事態は深刻に

2011年03月13日
       好天。
       日曜日。
       なのに、仕事が
       手に付かない。


 恐ろしいのは、
 孤立の地域と、

 原発。

 むかし、原発の安全性をアピールする、
 CM制作の手伝いをしたことがある。

 3重、4重の対策が
 講じられてきたはず。

 しかし、
 それでも、電気がなくて、
 すぐ対応ができない、なんて。
 電気をつくるプロなのに、
 なんという皮肉。

 それでも、現場で、
 被爆の危険性が高いなかで、
 命がけで懸命の仕事をしている人たち。
 最悪の事態は、
 免れそうな報道に、
 少し安堵。

 海外では、
 メルトダウン・ジャパンとして、
 大きく報道されている。
 日本ごと、溶融、沈没。

 SF作家の、小松左京が
 「日本沈没」で、ベストセラー。
 映画化もされた。

 現実は、SFどころではない。

 今夜は、
 NZ災害で被災された
 平内先生のお通夜。
 香典の表書きをしたためて、
 つれあいに渡した。

  

うれしいブログ。「りんごっ子」さん

2011年03月13日

      天が怒ったのか、
      地が嘲ったのか。
      やりきれない。

      こんなとき、
      うれしいブログ。

      「りんごっ子」さんの
      りんごの木の下で

      震災地の
      母乳育児の
      お母さんへ 

      


      ほんとに、
      適切な、タイムリーな
      ブログですね。

      どなたか、
      リンクしてあげて
      ください。
      うまくできないので。

東京は、つながらない。

2011年03月14日

     市川市の、
     南砺ゆかりの人に
     つながり、
     無事を確認できた。

     東京都内は、
     まったくつながる気配はない。
     
     首都圏は
     3600万人が住む。
     これが、いかに異常なことか。
     二番目のニューヨークが
     1200万人。
     世界の主要都市は
     多くて数百万人。

     電気、水、交通。
     インフラも超巨大な規模。
     非常時に起きる、
     影響の大きさも、
     思い知らされる。

     せいぜい、
     数万人の地方都市、
     顔が見えるていどの 
     暮らしの有難さがわかる。

     海外からの
     案じるメールでは、
     どの国も、
     日本のすさまじいニュースで
     いっぱいだという。
     津波、原発事故が
     ショックとのこと。

     それにしても、
     仕事に手がつかない。

弦楽六重奏の夕べ、中止です

2011年03月15日

    3月20日の夜に
    福光美術館で
    21日の昼に、
    南砺中央病院で
    開催を計画してきました、

    弦楽六重奏団の公演
  中止といたします


    ドイツの名門、
    シュトウットガルトの
    主席奏者6人編成で、
    世界最高のグループです。

    南砺市ファンで、
    過去6回公演してくれました。

    NZの追悼チャリテイーの
    つもりでしたが、
    それどころではありません。

    ルフトハンザ航空の
    名古屋へのフライトが
    難しくなったこと、

    メンバーの不安感。

    なによりも
    国内状況がとても許されない。

    プログラムも完成していて、
    残念ですが、背に腹を
    かえられません。
    ご迷惑をおかけしましたが、
    ご理解願います。

    改めて、時期を見て
    お招きいたします。 
  

冷静沈着に

2011年03月15日
    国家規模の
    非常時で、一番危険なこと。
    それは、
    感情に走ること。

    かっての、
    関東大震災のおり、
    何の罪も無い人たちが
    そのため、
    3000人も殺害されたという。

    突如噴出した、
    ナショナリズムの
    なせる業である。
    歴史を繰りかえさないために。

    現場の命をかけた、
    懸命に職務を賭した、
    プロたちを信じ、
    冷静沈着に。
  
    マスコミの奮闘は、
    これまでの面目を一新。
    いざというときの指針。    
    
    やりきれない気持ちは
    誰しもが抱いているけれど、
    政治や当事者に
    転嫁しないよう、願いたい。

    いまは、じっとがまん。   
    そのうち、
    自分の役割が見える。    

ドイツからお見舞いメール

2011年03月17日

    ドイツの、
    シュトウットガルトの
    リーダーから
    お見舞いのメール。

    日本へ行けない、
    残念であるが、
    
    こころを痛めている。
    あらためて、
    音楽で支援できる日を、
    と、いうメッセージ。

    日本への渡航を
    制限はじめた。

    日本全土が
    放射能汚染を受けている、
    そういうイメージのよう。


    お風呂に
    お湯を入れる。
    栓を抜く。
    原発の構造説明図と
    イメージが重なる。

    

平成の疎開へ

2011年03月17日


 避難している人たちへの
 緊急受け入れが始まっている。

 昨年7月、
 富山写真語・万華鏡223号
 「学童疎開」
 同じ3月に、
 「近代史研究」33号でも
 須山盛彰さんの
 報告が特集されている。

 平成の疎開 
 意味のわかる人は少ない。
 66年前の話だから。

 昭和19年、
 日本の都市はアメリカのB29
 重爆撃機の空襲によって、
 壊滅的打撃を受けた。

 20年3月10日は東京で10万人、
 8月1日深夜の富山市で
 3000人におよぶ命が失われた。

 学童疎開は、17都市から、
 60万人だった。
 空襲で足手まといになり、
 また、未来へ若い命を
 残そうと、子どもたちを
 全国の田舎へ緊急避難させた。

 最初は、「縁故疎開」が原則。
 家族の絆が失われないように。
 血縁をたよって脱出。

 3月10日の大空襲で、悠長なことを
 言っておられなくなり、
 集団で、急遽、強制疎開に。

 富山県は、東京から
 一番遠い地域ではあったが、
 一次で6257人、
 第二次で4889人。
 合計11585人が1年前後、
 疎開している。

 当時と、平成の違いは、
 食料事情の差である。

 敗戦前後の深刻さは、
 60万人の人たちにとって、
 生涯のトラウマになり、
 思い出したくない苦しみだった。

 それでも、
 いまの被災地、避難地は
 水、食料、身内の離別、情報不足は、
 もっと悲惨。

 宇奈月、小杉、
 南砺の人たちの地域あげての、
 思いやりに感激して、
 現在も交流が続く。
 全国でもきわめて稀な例とされる。

 平成の疎開も、
 66年前と、
 基本的には変わらない。

 
 
 

なんと-eブログを生かしましょう。

2011年03月19日
       生命の尊さを
       いまほど、
       思うときはない。



 けなげに、雪の中から
 芽をのばす、水仙たち。

 この、なんと-eのブログは、
 どんな発言でも出来ます。

 ただ、相手を不愉快にすることがあります。
 私も、ずいぶん、
 お叱りを受けてきました。(汗)

 南砺に生まれた、このブログ。
 一日、一度は開いて、
 ほっと、やすらぎを得られます。




 それは、
 毎日の なんでもない風景、
 なんでもない、喜怒哀楽。
 悩んでいる人も、
 うれしい話もホンネで共有できる。

 いま、日本で起きている、
 さまざまなできごとは、
 じっとしておれないことばかり。
 
 天下国家は大事。
 されど、
 小さな気くばりも、
 このブログのいのちです。

 被災者や、
 こころを痛めている人たち。
 声の大きさや、
 ことばの強烈さよりも、
 ささやかでも
 やさしい行動を求めています。

来日中止あいつぐ…

2011年03月19日

 今朝の北日本新聞
 コラムに、
 棟方志功さんの「無事」の
 駅頭の扁額が紹介されています。
 疎開生活で
 苦労しながらも、
 お客さんと、国鉄の
 共通の合い言葉「無事」
 いまの日本の合い言葉でもある。


 あす、予定だった、
 福光美術館での
 弦楽六重奏の夕べ
 中止です。

 手違いで、
 昨日、広告が出ましたが、
 休止です。
 申し訳ありません。




 リーダーの
 アルベルト・ブーゼンさん。
 奥さんと、仲間と
 8人がドイツから
 やってくる予定でした。

 加えて、
 ショックだったのは、
 カザフスタンの
 チューリップ博士、
 アンナさんと通訳の娘を、
 砺波と南砺へ呼ぶべく、
 準備をしていました。
 ビザの申請手続きも終わって。




 どちらも、
 1年前に計画して、
 準備万端ととのって、
 その日を待つばかりでした。

 お互いの状況から、
 来日は見送ることに。

 両方とも、
 すべてのプログラムを
 キャンセルしました。
 あちこちにご迷惑をおかけしました。
 がっくりです。

 脱力感。
 でも、
 いま懸命に、命を懸けている人たち、
 避難生活に苦しんでいる人たちに
 思いをいたすとき。
 平常心で。

 アンナ博士はロシア人。
 かってのソ連のウクライナ出身。
 あの、チェルノブイリ事故の、
 あった国です。
 無理もありません。

 東京の知人は、世界的な花の
 専門家ですが、
 世界中から、自分の国へ
 避難しに来なさい、というメールが
 寄せられていると言っていました。
 
 日本列島が、
 放射能で汚染されているという
 イメージで伝わっています。
 
 地図で見ると、
 ほんとに、小さな島国ですから。
 
 



暗雲から曙光へ

2011年03月20日

     日本列島
     世界中を覆っていた
     暗雲。




 命がけの、
 懸命な努力で
 少し、
 曙光がさしてきた。
 ありがとう。





 

著書「原発死」の松本さん(加筆訂正)

2011年03月21日
 すみません。代替えのパソコンで
 下書きのまま、掲出してしまいました。
 加筆して載せます。




 被曝と、
 放射線量を管理しながらも、
 危険を顧みず
 現場で働き続ける人々。


 実は、それを可能にしたのは、
 一人の若い富山県人の
 犠牲のおかげでもある。

 32年前に、老ジャーナリストの
 松本直治さんが、
 「原発死」という
 ショッキングな本を出された。

 以下、ご本人から直接伺った話。

 松本さんの一人息子は
 将来を嘱望される、優秀な技術者として、
 当時、期待を集めていた、
 東海村の原子力研究所へ出向。
 責任感の強い人だった。

 当時のこととて、
 放射線被ばく。発病。亡くなった。

 きちょうめんな性格から、
 日記やデータを残された。
 それをもとに、
 老父が出版。原発礼賛の世相で、
 警鐘を鳴らす本は周囲から白眼視。
 作家の、
 井伏鱒二は絶賛したが。

 南砺ゆかりの、若者の
 いのちを散らした代償が、
 緊迫の現場で活かされている。
 それを思うと胸が痛む。 
 
 

パソコン、危機一髪で

2011年03月21日


      被害に遭われた人は
      みなさん「水」が
      いのちの源泉。

      原発の暴走を
      食い止めるのも水。

      世界一、水に
      恵まれた日本なのに。
      日頃は、  
      水と安全はタダの感覚。

      いやというほど、
      思い知らされる。 



 パソコンが暴走寸前。
 画像が出ない。立ち上がらない。
 ファンの音が高い。

 いつも頼んでいる人が
 駆けつけてもらい、
 事なきを得た。

 なんとか、
 最低限度の機能を確保。

 もう6年くらい、酷使。
 機械だから壊れる。

 いかに、
 パソコンやネットに
 酷使されているかが
 実感できる。

 くらしの中に、
 電気が、どれほどの
 ウエイトを占めているのかも
 国をあげて、
 犠牲を払って学習している、
 今日このごろ。

AC japan コマーシャル

2011年03月23日
 テレビコマーシャルが、
 少しずつ戻ってきました・

 民放は、
 広告料で大半が
 経営をまかなっている。

 活躍しているのが、
 AC japanのコマーシャル。
 (アメリカには
 AAAという同じプロジェクトが
 ありました。)

 制作しているのは、
 コマーシャル制作のプロたち。
 ほとんど実費か、
 ボランテイアに近い。

 実は、富山県もかかわっている。

 戦後の高度経済成長期。
 いまの中国の様子ににてた富山県。
 野の夢、山の夢、海の夢、
 という知事のスローガンで、
 大型プロジェクト、
 ゆけゆけどんどんの乱開発。

 結果、日本一の環境汚染。
 公害デパート県の汚名をいただく。
 加えて、イタイイタイ病。

 そこで、自然環境を優先する
 中田知事にバトンタッチ。
 環境保全のモデル県へ変身した。

 そのとき、北日本新聞の
 広告局が中心になって、
 3年間に亘って環境保全の
 「美しい富山」を
 あなたとともに、という、
 大キャンペーンを展開。
 主だった企業の大きな支援を得て。

 全国のさきがけとして、
 日本新聞協会から特別表彰。
 そういう地方からの提言で、
 そのころ、
 日本公共広告機構が生れました。

 中心でずっと活躍されたのは、
 大阪の先輩のコピーライターでした。

 消費拡大を謳うだけでなく、
 社会貢献を、という現場の声です。
 
 地域社会とかかわることの大切さ。
 富山のスタッフも鍛えられました。

 こういう時期に、役立っています。 

疎開世代

2011年03月24日

 私の年代の前後に、
 学童疎開の体験者が何人もいる。
 戦災や、大火、引き揚げなど、
 みなさん、
 思い出したがらない、体験者。

 いくつかのNPOにかかわっている。
 特定非営利活動法人。
 いろんなタイプがあって、
 とうぜん、意識の高い、
 市民運動家も含まれている。
 じっとしておれない、と。
 もともと、
 マスコミに載るのがうれしい、
 パフォーマータイプ。

 そこで、内輪でトラブル。
 感覚的に、感情に走らず、
 組織的に、しっかりと、
 責任のとれる体制を、と言ったら、
 冷たい奴だと反感。

 今回のようなときに
 真っ先に、行動される。
 それは、すばらしい。

 ただ、66年前の
 戦災のおりの疎開状態を、
 近代史の研究者の資料や体験者から
 聞き取りをしてみると、
 あとのフオローがしっかりしていないと、
 裏目に出やすい。

 南砺市にも、
 ずいぶん多くの人たちが、
 避難してきて、不自由な生活を送られた。

 私の隣家にも、
 ある一家が一部屋で身を寄せ合って、
 生活されていたのを、
 目の当たりにした記憶がある。
 都会育ちの奥さんは、ものすごく
 気兼ねをされていたのを覚えている。
 周囲はすべて農家なのに、
 食物が…

 なかに、後年有名になった人もいる。
 そのとき、恩着せがましく、
 「世話してやった」と、
 のちのちまで利用して、
 半世紀ものあいだ、
 当事者や遺族の逆恨みをかったケースも。
 じっさい、フォローしていない。

 一方で、しぶしぶ、受け入れ、
 その家族の、
 疎開生活の状況を見かねて、
 陰に日なたに地道な支援をされた人も多い。
 帰京されても、
 盆暮れに、餅や干し柿を
 送り続けられた。
 相手に、見返りを一切求めず。

 そのことを決して誇らず。
 こういう人こそ、
 「土徳の人」

 60年たった今も、
 世代が変わっても、麗しい交流が
 今も続いているファミリーも、
 現に多く存在している。

 悲惨な体験されている人たちに
 いろんな支援の仕方があるが、
 困難な時ほど、
 人の姿が見えてくる。
 歴史は大切。 
 

富山と安全

2011年03月25日

 パソコン、ぶっこわれて、
 注文しても、時間が…
 画像をうまく入れられない。


 週刊誌Bから。
 47都道府県で、地震の危険度ランキング。
 東北関東はAランク。
 中部では岐阜と富山だけDランク。
 あとは、山陰、瀬戸内海で、CとD。
 立山の地下深く、
 マグマだまりが、
 クッションになっているという説。
 しかし、跡津川断層もある。

 津波は、
 寄りまわり波。
 しかし、津波は能登半島が遮断。

 台風は、立山連峰が盾に。

 水害は、この100年で
 ほぼ制御されている。
 ただ、
 先年の南砺の集中豪雨が。
 人身事故ゼロだったのが奇跡。

 唯一、豪雪。
 これも、かなり克服。
 いまでは、恵みの水源になっている。

 ミネラルウオーターの
 生産も急増。

 とやまの先人の努力で、
 日本でトップクラスの安全で
 住みやすい環境がある。

 泣き所は、野菜の自給
    
 全国47位。
 効率のいい米に特化して、
 手間のかかる、野菜は最低。
 東北、関東の
 放射能汚染の影響はこれから。
 安全と言われても、
 イメージ = 風評に転化されやすい。

 地産地消県民会議が組織されて、
 生産、流通、学校給食、直売市、など
 推進策がはじまったばかり。

 お金があれば、なんでも揃う。
 それが、巨大都市の首都圏。
 ただ、消費するだけで、なにも生産しない。
 電気・水道でさえ。
 その理不尽さが、浮き彫りになった。

 富山の食も、他人事ではない。
 ことに、野菜が。

 
 

こんなとき。映画。

2011年03月26日

       NZ地震以来、
       危機管理と広報、  
       集団疎開
       放射線被ばく
       など、
       いろいろ心配していたことが、
       次々現実のものになる。
       
       おまけに、
       いくつもの困ったことが、
       重なってしまい、
       気分は鬱。

 ブログで、好評だった、
 映画「英国王のスピーチ」を
 つれあいとつれだって
 思い切って見に行く。

 戦争場面のない、
 戦争映画。

 英国の重厚なロケと俳優。
 ハリウッドにはできない。

 植民地を世界に45も持つ大帝国。
 第二次世界大戦。
 日本も、その大津波に遭遇。

 最終場面で、
 国難に際して、団結を呼びかける。
 アカデミー賞は、さすが。

 日本の敗戦。
 そして、植民地も
 みな、独立の道をたどる。

 テンポのいい、
 勇気づけられる高品質な演技。
 そして、
 時代考証がしっかりした映画だった。

 いっときだったが、ほっと温まる。
    

富山県の出番です。日沿連。

2011年03月27日
 あまり知られていないが、
 県庁のなかに、古ぼけた看板が
 廊下に掲げてある。


 日本海沿岸地帯振興連盟

 略して、日沿連。
 昭和39年10月9日設立、47年前。
 事務局はずっと富山県。
 富山県知事が会長になる慣例。
 12府県による、対岸を視野に入れた、
 日本国土軸を推進する組織で、
 近年は、眠っていた。
 県知事の勉強会程度。
 先日も東京で、総会。
 そのネットワークが、これから生きてくる。
 
 いま、放射能の
 モニタリングもはじまる。

 青森、秋田、山形、新潟の知事が
 万単位の被災者受け入れを表明している。
 まずは、隣人が動く。
 東北はひとつ、という気持ちの表れ。
 
 とりわけ、新潟県の対応は見事。
 中越地震の教訓を活かして。


 日本史のおぼろげな記憶から。

 明治新政府の恐怖は、
 列強から日本が植民地化されること。
 それで富国強兵、殖産興隆を国是に。

 ただ、問題は、
 経済優先で、農村が疲弊する。
 食料は諸外国からカネで買えばいいのか。
 そこに危機感を感じたのが、
 早稲田の大学生だった、
 若き日の松村謙三。
 農業、農村あっての日本だ。
 卒業論文「日本農業恐慌論」が生れた。
 なんと明治39年、105年前である!
 敗戦直後、農林大臣として活かされた。
 原本は、松村記念館に眠っている。


 ロシア帝国の南下が最大の課題。
 仮想敵国に対抗ということで、
 日本は、軍部中心に、
 朝鮮、満州、中国へと手を伸ばす。

 当時は、日本海側へ、
 太平洋側から兵員、軍需物資を
 緊急移動させるために、数年で
 鉄道網を完成させる。
 国家予算の半分も投じて。国鉄の誕生。
 高山線の敷設や、
 立野が原陸軍演習場と、
 連動させて城端線建設も、
 兵員輸送が第一の目標だった。

 効率のいい大量輸送手段は、
 今も鉄道と船舶。

 戦後、太平洋ベルト地帯が、
 日本の経済活動の国土軸となる。
 首都圏の異常な一極集中。

 いま、それらが、
 音を立てて、揺れ動く。

 長年、「裏日本」と、さげすまされてきた。
 まずは、東北の内陸部と、
 日本海側の支援。
 実は、富山県も、これから。

 なによりも、経済と暮らしが
 しっかりしていないと、
 被災者を支えられない。
 自分の持ち場で、
 平常心と、
 2倍がんばるつもりで…
 
 

富山の産業が貢献できること

2011年03月28日

 原発の不安は、
 まだまだだけど…


 富山の基幹産業が、震災に
 貢献できることが多い。

 まず筆頭は、アルミ建材。
 必要な電源は大丈夫。
 木材加工の分野も。

 医薬品は知られざる基幹産業。
 配置薬だけでなく、
 医家向けも地味だが大きい。

 化学工業と、基礎素材。

 建設業は、下支え。

 運送業は健在。
 金融では、奇跡的に北陸銀行の
 エリアから外れていて、無傷。

 アルミとプラスチックの食器。

 水産物と米。
 ミネラルウオーター。

 日本海側随一の工業県が、
 貢献できる機会でもある。
 専門家の、
 マンパワーの支援もこれから。

 落ち込むのは、
 観光関連。
 地元でできる応援が必要になる。



 

 

 

 

南相馬市のこと

2011年03月29日
 ちょうど200年前、
 南砺市五箇山から、相馬へ
 移住した10数家族があった。

 それを、児童文学者の
 新開ゆり子さんが、発掘調査して、
 「虹のたつ峠をこえて」
 「海からの夜明け」の小説になった。
 市民ミュージカルも生まれて、
 利賀村でも公演、大好評だった。 
 (後に、著作権問題で訴訟に。
  新開さんは、取材のおり、
  地元の最初の印象は良くなかったが、
  と、話しておられた。)

 平成4年、
 世界そば博覧会の開会式で、
 異様な武士装束の一団がパレードした。
 原町市(現南相馬市)の人たちであった。
 相馬野馬追いのメンバーである。

 200年前、
 飢饉や災害で、相場藩は3分の一の
 人口に減った。江戸へ逃げた。
 そこで、少数派の浄土真宗の住職が、
 布教と勢力拡大を条件に、
 五箇山へ勧誘にくる。

 南砺市の真宗は、他とちがって、
 堕胎と間引きを許さなかった。
 命は授かりものという、
 当時の教えは立派なものだった。
 ために、子供は増え続ける。
 五箇山は、耕地が限られていて、
 困っていた。

 相馬だけでなく、
 茨城の玉造町へも、集団移住した。
 みな、新天地を求めて。

 当時、他藩へ移住は死罪。
 それを、井波の寺院のすぐれものがいて、
 親鸞上人の聖地めぐりツアーという、
 証明書を発行した。
 関所を通過する手形に。
 途中で落命しても打ち捨てて結構、
 という内容の、片道切符であった。

 加賀藩は見て見ぬふりの節がある。
 人口過剰対策もあって。
 
 事実、道中の想像を絶する難儀、
 そして移住先での現地での
 冷ややかな差別扱いに団結して、
 耐えながら、
 もう7〜8代目となった。
 結いの精神でがんばった。
 (なんとコラムに紹介)

 言ってみれば、
 南砺市の「建設的な難民部隊」の
 ようなところがある。

 3年に一度、
 利賀村に集う出身会で、
 「母村ネットワーク」が生まれ、
 これまで4回開催されている。

なんとか、新年度。

2011年03月30日

 新年度。
 辞令交付式。
 スタッフの人事異動。
 パソコン総入れ替え。
 携帯更新。
 職場のパソコンも
 いつの間にか更新。

 まさにパニックの
 5乗。
 超アナログ人間には…
 


 ぶっ壊れ寸前のパソコン更新。
 今の時期、注文は思うとおりに行かない。
 間に合う、組合せ。
 やっと、届いた。
 古いレーザープリンタが、接続不可。
 カラープリンタも。
 

 ベテランの知人のプロバイダーに 
 すべて、お任せ。

 この震災で、物流が難しくなっている。
 思うように機材が間に合わない。

 戸惑うばかりで、
 機材をぶん殴りたくなる。

 すべての機能の
 3〜5%しか、活用していないのに、
 今は1%。もう嫌!

 追っ付け、
 高額の請求書…

 と、思ったら、
 なんと、半額の請求書。
 めちゃ、なんでも安くなっていたんだ。
 助かった!

 こんなことに悩んでいる、
 一抹の幸せ。    

なんと65年前の仮設住宅です。

2011年03月30日
      えっと思われるでしょうが、
      これは、
      数奇な歴史を秘めた、
      仮設住宅なのです。




 おなじみの、棟方志功記念館・愛染苑
 別館の「鯉雨画斎(りうがさい)」です。

 終戦直前、東京の大空襲を逃れて、
 命からがら南砺へたどりついた、
 棟方志功一家は、
 さらに数か所を転々。

 見るに見かねた、図書館の石崎俊彦さんが
 自分の土地を提供された。

 当時、空襲の被災者や引揚者などの
 仮設住宅の仕事をしていた、
 地元の木工会社社長さんらが、
 貴重な資材を手配。
 町民のあたたかい気持ちのおかげで、
 18坪の平屋建て、板葺の小屋ができた。
 (ジエーン台風で屋根板が飛んだ。
  後に瓦葺きに)

 8畳が棟方さんの画室(アトリエ)、
 4畳半が囲炉裏の客間、
 6畳が4人の子ども部屋。
 
 小さな屋根裏空間は、
 次女のちよゑさん(小学生)の隠れ部屋。
 少女雑誌に詩を投稿していた。
 (絵本:ちよゑちゃんとパパとだまし川)



 棟方志功は、2〜3年使えればいいと
 思いながらも、
 生まれて初めて、自分の家を持てた。
 うれしくて、画室と厠に絵を描いた。
 昭和21年12月のことである。
 
 この仮設小屋へは、
 天下の有名人から、地元支援者や、
 子どもたちまで、
 こぞって、集い、資金援助した。
 その人たちが100名あまり、
 屏風にサインされて展示されている。

 たかが、仮設住宅とはいえ、
 腕の利く大工の澤田棟梁がいい仕事を
 残したため、65年後の今日も
 健在である。

 加えて、
 26年、棟方一家が東京へ。
 そのおり信頼していた同じく引揚者の
 土居さんに仮設住宅を譲った。
 土居さん一家は50年あまり、
 手を加えることなく、
 生活しながらも大切に保存されてきた。

 都市計画で、取り壊されるところを、
 有志や議員さんが保存運動。
 町長の決断で、町がまるごと引き継ぐ。
 現在のところに、大型クレーンで吊り上げ、
 民家と高圧線を乗り越えて移設できた。
 後に葺かれた瓦を外し、
 24トンの家は宙を飛んだ。

 (平成13年3月31日。
  ちょうど10年前のきょうである)


 合併で、
 福光美術館の分館として
 管理、運営されている。
 全国から、棟方ファンが
 引きも切らない。
 観光バスも多い。

 棟方さんを崇敬する、孫弟子の
 ジュデイ・オングさん
 厠の落書きを見て、感動されていた。


 
 
 
 

 
作者 : 奥のほそみち

石崎光瑤に感動し、棟方志功に共鳴するお仕事です。運転しないから、人の行かない裏通りや、細い道をひたすら歩く。 そこで見つけた話を紹介したい。 雪吊を 終えたる樹々の 斜塔めく          あさぎり         

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