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なんと万華鏡

南砺市には、いろんな花が咲き、がんばっている人がいて、面白いことが起きています。

朝の一杯。いい日だなあ。

2006年06月01日


 久しぶりに隠居ハウスへ篭もり、一杯ン十円のドリップ珈琲を入れる。近所のスーパーで入れてきたイオン水を沸かして、はじめチョッと湿らせるのがコツ。庭のみどりがまぶしい。小さな小さな贅沢。

 庭の隅の、ほったらかしにしてあった、プチトマトとエンドウの柵をつくってやる。可哀想に連中は地面を這いずり回っていた。おそまきながらの朝顔の種を蒔く。夕方から、おおしま絵本館館長の退任慰労会に、富山市のホテルへ。ああ、山王さんのお祭りの日だった。

高井進氏は、12年間おおしま絵本館の館長を続けた。11人の各分野のメンバーが慰労会を計画した。私は2番目に若かった。戦前の○○社の絵本が、軍国少年を育ててしまったなどの、歴史教育のことで盛り上がる。

久しぶりに山王まつりに。こんなに人が出たのは初めて。夜9時でも若者中心に数十万人で動きがとれなかった。香具師だけでも1000軒だとか。

バラが咲いた。我が家の庭にも。

2006年06月02日


 昨年の5月、カザフスタンへ花の写真を撮りに行ってきた。(こんなもん写すのに、ン十万円もかけるダラもおった)
これは、ロサ・ペルシカrosa persicaバラ科です。ギリシャのクレタ島の神殿に描かれた、世界最古の園芸種のバラの原種(もったいつけるな!)でもある。3センチくらいのかわいい花。
 このブログで「館主の日記」さんに、きれいなバラのつぼみがアップされていた。負けじと、我が家の庭にきょう咲いたバラを紹介する。原種から改良が続けられて、こんにちの花姿になったんだなあ、と感心した次第。

みんな、何をのぞきこんでいる?

2006年06月03日


 きょう3日から、南砺市立福光美術館で「制作の原点―石崎光瑤展」がスタートした。本画、写生、写真の珍しい代表作を一堂に集めた、これまでで最大・最新の光瑤展である。
 中でも話題になったのは、光瑤の雅号の命名簿である。私も初めて
見た。由緒正しき琳派の後継者であることが証明されている。光は福光の光と、師の山本光一から。瑤は中国の「揺れる石の飾り」つまり小矢部川に産出のメノウである。若干13歳のときの命名であるから、いかに若くして才能を見い出されたかということになる。

 国宝級の「燦雨」、宮家から出た「筧」、ダイナミックな世相を表現した「奔端」など。写生と写真は日本のトップを極めた逸品である。7月26日まで。みどりに包まれた環境は、時間の流れ方が違うのである。

シルクロードの花と遊んでいました。

2006年06月04日


 この写真は、カザフスタンの黒部峡谷、アクス渓谷である。古くからの自然保護区で、不思議な花が咲いていた。
 美術館の市民ギャラリーは、申し込めば有料であるがグループ展、個展が開ける。現在は井口の写真展が開催中。
ちょうど1年前に2度目のカザフスタンへ行ったときの写真展を、石崎光瑤展にあわせて計画中である。6月13日(火)から。
 シルクロードといえば、とかく砂漠のイメージであるが、カザフスタンは日本の7倍強もある、草原の国。そして動植物の宝庫である。天然資源も石油をはじめ、無尽蔵。知られざる未来の大国なのである。

もうひとつ。チューリップの原生地。140種といわれている原種の半分くらいはカザフスタンの天山山脈の北側に集中していて、文字通り世界のチューリップのふるさとなんである。
 写真の引き伸ばしも出来て(高かった!)きょう一日、その説明書きに明け暮れた。2度もあんなところへ行くなんて、とシャバじゅうからだらにされながらも、めげずに、富山県の花、チューリップにこだわり続けている。

これは何でしょう?

2006年06月05日


 小さいけどマクロ撮影(接近して撮れる)ができるデジカメが、新発売された。手当たり次第に身辺の草花を撮っている。
 これは、立野ヶ原の、イチゴ狩り会場近くにある、通称めだま監的壕の前で写した一枚である。花にして花にあらず。「スイバ」の実。アップで拡大すると、まるで宝石のような彩りである。ふだんは、ふんずけているような草花に、あっというキレイな発見がある。子どものとき土手で春先、遊んでもらったが、若い茎が酸っぱくて、さわやかな甘みもあり、早春の香りがした。花というか、実は良く見ると宝石かアクセサリーのようである。タデ科で、ソバなどの仲間。和漢薬では、利尿、いんきんたむし、に効く。近年制がん効果もあるという研究も。
 
めだま監的壕は、貴重な文化遺産である。昔は(戦後は)子どもの遊び場でもあったが、旧陸軍演習場であったことの証人。地元東太美老人会「福寿会」で、保存運動や清掃活動をされている。現在、記録を集めて、絵本を出版する準備をしているところである。いろんな100年近い日本の歴史が秘められている。イチゴ狩り会場のすぐ東側、小高い丘があり、松の木数本が目印。
クルマで1〜2分。ほんとに人間の頭のようである。一見を。

魚津の寿司をたらふく食った。

2006年06月06日


 東京の義兄(彫刻家)夫妻がやってきた。定番の寿司屋さんへ。一度南砺市の皆さんを案内したいような店が富山市より多い。生ビール2杯、いも焼酎1杯。仕上がってしもた。つづきは明日早朝に。ぐわあ〜夫婦でいびきオーケストラ演奏が待っている。お先におやすみなさい。では。

いよいよ「卯の花が満開」した。

2006年06月07日


小学校だったか、文部省唱歌に「卯の花の匂う垣根に♪♪」の歌があった。夏が来たのである。福光栄町の棟
方志功記念館・愛染苑の垣根にことしは見事に咲いた。ウノハナである。
かっては棟方志功が大好きだった、愛染苑前庭の生垣には、石崎俊彦氏とともに作り上げた、山野草ガーデンがあり、60年後の今も咲いてくれるのである。


この卯の花には、棟方志功と、花鳥画家の石崎光瑤との接点がある。
3日にオープンした、福光美術館の石崎光瑤展に、特別出品しているのが、この「筧:かけひ」である。光瑤が大正3年、弱冠30歳のときに第8回文展に出品、特別褒章をもらい、この作品に感動した、さる宮家が買い求めた。したがって、この屏風には畏れ多くも菊の五紋章が飾られている。持ち主は、安くは売らないとがんばり、館では5〜6年も粘って交渉し、ようやく購入できた。今回がはじめてのご披露である。所有者は、「公立美術館に納まって良かった」との話を間接的に伺った。いちばんうれしい話であり、仕事冥利に尽きる。ありがたい。
ありふれた花をテーマに、数十万枚の花びらが舞う大胆で緻密な作品なのである。10代ですでに江戸の琳派、京の四条派という東西のトップの指導を受けて桧舞台に踊り出た作品である。写真と実物を比較してもらえば、光瑤の写生魔ぶりがよくわかる。

この上品さに京都画壇は嫉妬した。光瑤はインドへ旅立つことになった。

南砺市の食文化「心のもてなし料理」

2006年06月07日


 この画像は、昨年の暮れ、「みんなで農作業の日in五箇山」の棚田オーナー制度・相倉部会で、収穫祭を祝ったときのもの。地元相倉の人たちやオーナーが参加して、伝承料理「報恩講」通称ほんこさま、で仕上げた。本格的に仏壇の前で、僧侶がこの日本一ぜいたくな、庶民の精進料理の由来を説明して、みんなでいただく。都市住民との新しい「いっけ」の誕生である。
 昨日の食のとやまブランドについての会議で、「とやま食の街道」が提案され、南砺市は、信仰に裏打ちされた「心のもてなし料理」と言うテーマが話し合われている。報恩講料理だけでなく、瑞泉寺、善徳寺の鯖のなれずしが、話題になった。
 富山の食の街道は、世界の味昆布ロード、神秘の富山湾・きときとの街道などとならんで、南砺市の里山の食文化について、隣の川合委員といっしょにタッグを組んで発言することにしている。詳しくは新聞と、県のホームページで。

偽作、贋作、盗作。

2006年06月08日

 毎日のように、芸術選奨文部科学大臣賞を受けた、洋画家の和田義彦のニュースが報じられている。イタリアのアルベルト・スギ氏の作品の盗作疑惑である。
 昨日、7日に福光美術館運営委員会が開かれた。その委員のひとり、川原竜三郎さんは、ローマに24年間滞在して制作活動をしていた日本を代表する彫刻家である。(東京在住、旧福光町出身)城端線で一緒になり、車中でこの話を。川原さんは、スギ氏を知っており、今回は恥ずべき盗作。日本の画壇の恥部であるとも。
 困ったことに、わが石崎光瑤も棟方志功も、贋作がその3倍流通しているのだという。ごく一部だが悪質な古物商の存在もある。贋作が出る作家は超一流という皮肉な意見もあるが、月に数回、美術館へ見て欲しいという依頼が持ち込まれる。
 公立美術館で真贋の鑑定はできない。ただ、調査研究は館の業務であるから、サービス心として作品を拝見、アドバイス程度はしているが。
 棟方志功は東京にれっきとした鑑定会がある。光瑤は、印鑑をすべて預かっていることもあり、おおよその見当がつく。
 土曜日の昼休み時間。スタッフに人気のある「なんでも鑑定団」を参考までいつも見ているが、厄介な世界である。ホンモノと、偽物。自分のような素人でも、じっと見ていると、ホンモノにはそこはかとなく「オーラ」が立ち昇ってくるから不思議だ。その瞬間、作家が生き返って語りかけてくる。
 蛇足であるが、和田の所属していた国画会は、棟方志功が参加していた。さぞや地下で嘆いていることだろう。私の義兄もきょうまで帰郷していたが、国画会彫刻部門の幹部で、日本美術家連盟の幹部でもある。情報は早かった。「和田は創造性はゼロだが、色彩センスは良かった」と言っていた。

 

いざ鎌倉へ。棟方さんに再会。

2006年06月11日


 いざ鎌倉へ。成政の大吟醸を抱えて、久しぶりに鎌倉山を訪ねる。棟方志功の二男、令明館長が待っていてくれた。初めに棟方板画美術館のほうを拝観させてもらう。企画展のテーマは「華厳」。見事な書と版画や肉筆画が、凛とした空間に存在し、40年間にそれぞれ制作されたテーマなのに、同じころに描かれたような雰囲気がある。つくづく凄い人なのだと、改めて酔う。

隣にある別棟の事務所の古風な玄関で、令明氏が迎えてくれた。大吟醸のにおいがしたのだろうか。昔、棟方志功が仕事をしていた古い建物で、小部屋の居間でぬれそぼる庭を眺めながら、久しぶりの話が弾んだ。書のこと、福光時代のこと、民藝のこと、最近の新潟での美術展での応援の報告や全国展開の構想にまで発展した。南砺市で、棟方志功をテーマにするとき、著作権継承者であり、欠かせない人なのでもある。

 2時間ぐらい語り合ったあと、入梅の鎌倉を辞して、渋谷へ。富山写真語・万華鏡の次号のために取材に行く。ようやく雨もあがり、忠犬ハチ公を撮影する。30年前に、北陸銀行渋谷支店開設の仕事で、ランドマークのハチ公と対面し、PRしたことがある。懐かしい。夕方に新橋の定宿にしているホテルに帰る。 

咲いた!咲いた!孔雀サボテン。

2006年06月12日

 ついに咲いた。知人からプレゼントされた、小さな株なのに3つも蕾みをつけて!。月下美人かと思ったら、孔雀サボテンだった。
月下美人は夜咲くし、純白。一晩だけの命として、いい香りがする。よく新聞に登場する。
 これはそんなでもない。色もいろいろで2〜3日は持つ。株に似合わず花は派手。
 ブログは2日間、お休みだったので、挽回しなくちゃあ。


 もうすぐ、ワールド・サッカー。日本VSオーストラリアが試合開始だ。早くいろいろ片付けなくっちゃあ。

信州の無言館で、無言・・・。

2006年06月13日


 美術館には二つのタイプがある。すべてをバランスよく展開していく館と、個性的なメッセージを発信し続ける、テーマ型である。わが館はその両方をめざしているが。
 長野県上田の緑の丘に建つ無言館は、鮮烈なコンセプトに
こだわり、全国から熱心な来館者を集めている、有名な美術館でご存知の方も多いと思う。

 9年前、詩人で作家の窪島誠一郎氏が中心になって作られた。第二次世界大戦で散った、若き藝大に在籍していた画家の遺作を蒐集、補修のうえ展示している。十字架の形にレイアウトされた、コンクリートの打ちっぱなしの館内は、文字通り無言の世界。作品の瑞々しさに思わず息を呑む。
 声高に反戦平和を謳っているわけでなく、こんなに優れた作家がいて、後世活躍することなく散った無念さを、肌で感じる。館長は信濃デッサン館の館主。経営的にむずかしく、デッサン館のほうは近く閉館の予定とか。
 実は、窪島さんは、故水上勉の長男であることが、40年を経てわかったのだという。常楽寺でご挨拶したが、同年。謙虚な人柄であった。
 写真右側が窪島氏。左は八月座の座長、荒井なみ子さん。89歳にして、東京高齢者生活共同組合の中心人物。もと女優で、法隆寺の壁画模写の荒井寛方の長男の嫁。寛方の六女・照子さんは、南砺市山本の河合家に嫁ぎ、私の祖母の実家であった。遠縁である。荒井寛方は石崎光瑤と、インドで数ヶ月写生旅行を一緒にしており、親しかった。福光美術館で企画展を開いている。

おかげさまで「仮釈放」です。

2006年06月14日


 公立南砺中央病院で、ようやく前立腺がんからの「仮釈放」のサインがでた。ふとしたことから、主治医の打林ドクターがめざとく極めて早期の病根を見つけられ、10ヶ月にわたる術前治療(ホルモン注射)を毎月受けた。副作用で頭髪が黒くふさふさに変身!
 打林副院長(当時)の執刀で4時間半の大手術。「終わりましたよ」の声で、さわやかなお目覚め。酸素吸入と麻酔のおかげで爽快ですらあった!1ヶ月の入院は、新築と景観のすばらしさ、若い魅力的な看護師さんに囲まれて、リゾートホテルみたいだった。食事もすべてペロリ。ほんとにおいしかった!


 以来2年間のフォロー期間。毎月一度の通院、検査、服薬と続いて、きょう14日、晴れて打林スマイルで「おめでとう、仮釈放です」と宣告を受ける。もし気がつかなかったらと思うとぞっとする。
 金大で泌尿器科の教授もされた、ベテランの現院長のおかげである。男性諸氏よ、50歳を過ぎたら年に一度PSA検査を。定期健診などの血液検査ですぐ結果が出る。この疾病はすごい勢いで増えている。ストレスと食生活の欧米化が原因とも。

 想定外の生命保険が下りたので、お礼に義兄の彫刻モニュメントを寄贈させていただいた。南砺市のおかげで命びろいである。うれしい日である。晩酌はちょっといいワインの予定。

南砺市を、ムナカタを宣伝してきます。

2006年06月14日



 あす15日、山梨の富士山のいちばん美しく見える忍野村にある、絵手紙美術館で、南砺市のムナカタについて、宣伝してきます。世界のムナカタになった秘密。それは南砺市に疎開して充電し、地域の文化人や住民、子どもたちとの交流があったことが大きいと、最近評価されるようになってきた。


日本の絵手紙愛好家は、最低300万人!である。その講師だけでも2〜3万人。月刊のテキストはその先生方が愛読されている。今月号には福光時代の棟方志功が特集されている。
 その創始者・小池邦夫先生とは昨年春、宇奈月大会で意気投合した。
 つまり、小池さんは、数百万人の教祖みたいな存在。そしてその会長がもっとも影響を受け、神様と称しているのが、棟方志功なのである。福光美術館の作品を特別に貸し出し、尾山学芸課長が作品解説を行う。私は小池会長を前に、講演、対談を担当。
 人の心を動かす力のある「手紙」の魅力について、語り合う機会になることであろう。参会者は数百人であるが、そのバックには、数百万人の未来の棟方志功、南砺市ファンが存在する。明日の朝は早い。明日のブログはお休みなので、前倒しで書き込む。ではこれにて。

一発瞬間ギャグ!!

2006年06月16日


 富士吉田から東京へ向かう、中央高速のとあるPA。毎日のように報道されるテーマを、堂々と名称に使っている。きっとこの公共施設は談合の結果うまれたのかも。DANGOZAKAと併記してあったから、昔は団子を食べながら、こっそり談合を繰り返していたと言う坂、というのは違うようだ。

山梨で、棟方志功でもちきりでした。

2006年06月16日


 富士山がいちばん美しく見える、山梨県忍野村。写真家の岡田紅陽、忍野八海で有名である。そこの公立絵手紙美術館で、福光時代の棟方志功展が開催された。300万人!もの愛好家がいる絵手紙。その総本山と言う感じ。会長の小池邦夫さんは、この世界のカリスマ。
 小池さんは、大の棟方ファン。それも福光時代の作品が最高にいいという、東大出の書道家でもある。全国から集まった講師160人の前で、棟方の二女・小泉ちよゑさん、棟方の孫の石井頼子さんが登場すると、会場が沸いた。

 福光時代、南砺市での棟方志功の開眼した世界などについて、私がその源泉や人脈、時代背景などの講演をした。2日間にわたって、会長やちよゑさん、頼子さんと、尾山学芸課長とじっくり、棟方志功の実像について語り合う。

 福光美術館からは、御美魅寿玖之図など、書や版画作品を貸し出した。作品解説は尾山学芸課長がする。絵手紙グループは、すっかり南砺市ファンとなった。眼前に見えるはずの富士山は、恥ずかしがって、そのすがたを見せなかった。梅雨に入ったのである。

イチゴ狩りは20日まで!

2006年06月17日

 立野ヶ原のイチゴ狩りを取材に行きました。お天気が良かったせいか、ファミリーでいっぱい。甘酸っぱい香りが漂ってきます。20日までとのこと。
 わがふるさとですが、子どもの表情が素直。その相手をしている親。地元のメンバーががんばっている。

気になる自治体事情?魚津市

2006年06月18日


 月・火と上京のため、穴埋めブログ。ちょっと(相当?)刺激的かも知れないレポートである。南砺市と比較しながら参考にしていただきたい。
 まずは、魚津市。南砺市より13000人少ない。市の職員は南砺市のほぼ半分。近隣とは合併もさせてもらえなかった、おぞい街。それがこのところホテルが活況である。観光地でもないのに。東京第一ホテル魚津という、立派なシティホテルのほかに、大きなビジネスホテルが4つ、小さなのが3つ、さらに今度、マンテンホテルが駅前の一等地に建つ。みんな満室状態が3年続き、このあと数年も同じ状態だろう。黒部市までいっぱいで、富山市まで泊まる客が多く、地元のタクシーが富山市まで送迎している。タクシーは3社。合計で100台近いだろう。それが深夜までフル稼働。
 魚津駅の乗降客は、ビジネスマンが毎日200人以上。特急だけで18本止まる。飲食街は観音町の10倍くらい。


その一番の理由は、松下電器のLSI工場の企業誘致だろう。1200億の投資で稼動はじめたばかり。さらに1500億の工場を隣に建設するため
用地買収が終わった。薄型テレビのために、世界の40%の生産拠点になる。なぜ?魚津市か。それは、質のいい豊富な水源にあり、将来の北陸新幹線駅をにらんでのこと。県、市あげてのすさまじい誘致運動を目の当たりにした。

土曜日はマル秘「鑑定団」開催です

2006年06月18日


 土曜日のお昼は、人気テレビ番組「なんでも鑑定団」というのがあって、館でもお昼休みはよく見ている。
 公立の美術館には、収蔵美術品選定委員会制度というのがあり、条例で決まっていて、地味ながら大切な仕事である。作品の購入(昨今予算は厳しいが)は館にとって生命。その他寄贈、寄託、調査研究という内容で、内外トップクラスの専門家がこれに当る。今回12年ぶりに委員を一新したが、錚々たる顔ぶれでこの会合は、テレビ番組よりはるかに中身が濃く、エキサィテング。
 公立美術館では、よほどのことがなければ、無断で贋作は展示できないのである。それだけに吟味する。こんなとき、つくづく美術館とは情報産業だなあと思う。先生方は、ある意味では南砺市の美術品に関する応援団、アドバイザーでもあり、教育長が委嘱する。
 残念ながら非公開。詳しくは、地元紙を見ていただきたい。

自民党本部へ行くと言ったらカミさんが吹きだした。

2006年06月20日


 どうしてこんな事になってしまったのかなあ。自民党本部のいかめしい守衛さんたちを潜り抜けて、政務調査会会場へ。全国のNPO代表と
同じくらいの数の国会議員さんたちの勉強会。農水や環境、総務庁、文部科学省などのお役人もずらり。
 美人のいわゆる小泉チルドレンさんたちもすぐそばに。3時間の会議のあとパーテー。自民党の幹事長の武部勤さんは、テレビで見るよりもっと田舎の好々爺。うどんやの親父と言う感じ。
 ○○さんの地元ですが、といったら、武部さん一瞬息がつまり、瞑目して―残念だった。ほんのちょっとのことだったのになあ、としんみり。チルドレンさんたち、顔だけでなく、けっこう回転が速くて、さすがと思った。新潟選出の長島忠美議員といちばん話が合った。魅力のある素朴な村長さんである。外には国会議事堂が見える。
ところで、会議の内容は?
都市と農山漁村の共生・対流を進める調査会/NPO小委員会合同会議という、要するにグリーンツーリズムのあり方についての意見交換会。

中川政調会長が挨拶されたが、3時間の熱心な、まじめな、本音の会議だった。
 面白かったのは、この決議案は、議員さんにとっても、各省庁にとってもまったく利権にも票にも結びつかない内容であること。5年前から取り組まれている。なんで自民党なの?と、首をかしげたくなる。過疎の高齢化集落をどう守っていくかというテーマである。
 武蔵野市の元市長、土屋議員さんが、利賀村との30年にわたる交流、セカンドスクールの実現のための経過を話されたのが、最も印象的だった。
政治、政策はこんなふうにして動いていくのだなあと実感。

この会社が日本をダメにした。

2006年06月21日


 今月3度目の上京。新橋の新しいホテルに泊まった。目前に汐留街区が見える。7年前にいた会社。隣のテレビ本社も含めて、日本の文化をダメにした会社のひとつである。品性はビルの大きさに反比例する。経済優先で突っ走った時代。バブル以前は、見識のある経営者、優秀な社員で構成されていた。たとえ儲かることが判っていても、消費者の不利益には、得意先にノーという節度もあった。ビルも小さかった。
 すぐ前にある朝日新聞社の本社ビルは小さくなって見える。そのうち、地方支社を別会社にし、地方を切り捨てたのは、小泉内閣と次元は同じ。ますます地方の生活感が遠のいて、東京だけがあだ花を咲かせる。


 駒場の日本民藝館を訪ねる。久しぶり。開館と同時にけっこう入館者がある。先日、新日曜美術館で取り上げられたおかげという。創設70周年記念の、柳宗悦の蒐集という、さすが見ごたえのある企画展であった。
 特別に向かいの柳宗悦邸宅を開けてもらう。先週は土日で3万人来館があったとのこと。書斎には、柳宗悦に贈呈した南砺市の作家、岩倉政治から贈呈された赤尾道宗龍樹などのサイン本があった。ともに哲学者の鈴木大拙を師にいただく、親密な盟友。館の常務(女性)と、南砺市での棟方志功の記録の話で、意気投合した。すぐ、新幹線に飛び乗る。


初めての写真個展です。

2006年06月22日


 写真歴は恥ずかしながら、40年。それなのに初個展である。理由は、ディレクターという仕事柄、写真家と一緒にいつも仕事をしていて(おそらく100人以上)彼らの命がけの仕事を見続けてきたので、とても発表する気にならなかったから。
 過去2回、カザフスタンでチューリップの撮影の旅をしていて、世界一といわれる原種を紹介する写真展。南砺市立福光美術館一階市民ギャラリー。
 30年くらい、県のチューリップ優良品種認定委員を務めてきたことから、チューリップにはうるさい。この原種を見ると、チューリップフェアなどで見かける園芸改良種は造花に見える。原種の神秘的な美しさは神々の造形としか思えない。
 この写真展は、いま開催中の美術館企画展、石崎光瑤展にあやかって開いたもので、当然ながらポケットマネーである。光瑤は写真家であり、登山家であり、写生魔というマルチ才人。いま、生きていたらカザフスタンへ飛んでいったことだろう。7月16日(日)まで同時開催。
 シルクロードの花園というタイトルであるが、シルクロードといえば
とかく砂漠や岩山のイメージが強い。実際は、カザフスタンの場合、日本の7倍強の草原の国。チューリップの原種はほとんど中央アジアが原産地。うち、大半が天山山脈周辺で見られる。

 21日は中部経済産業局(名古屋)から部長さん、チューリップテレビさん、北陸経済研究所さん、富山のJFE冨山支店長さん、南砺市さんと来客多し。ヒアリングが多い。光瑤展を案内すると、どうしてここにこんなすごい作品があるのかと驚かれる。南砺市のイメージアップに寄与していると自画自賛。

ブログをはじめて1ヶ月たちました。

2006年06月23日


 ようやく一ヶ月経った。ブログなんて、なんで始めたのだろうと後悔の連続。その前に、e-fuku3.comで、コラムを5年近くスタートの時から続けてきたので、軽く考えていた。ホイホイと返事したのがいけなかった。前回のコラムは月2回。ふくみつ見聞録など118話。カラープリントしてみたら、一冊の本になってしまった。美術館のお世話になってからの貴重な記録である。ブログの場合、日記であり社会との接点といえる。他人様のを読むと刺激になる。
 ブログは一度講習を受けて、マニュアルをもらって…1週間たってもうまく掲出できない。イライラ。結局、事務局へ飛び込んでAさんの個人レッスン。それでも、このトシでは手順をすぐ忘れて、せっかくの労作が一瞬にぱあ〜っと真っ白に。頭の中も真っ白に。
 この機会にと、デジカメも始めたから、余計に悪戦苦闘。
 ようやく他のメンバーの記事にちゃちゃを入れる余裕も出てきたのが正直なところである。ワインで酔っぱらって、眠い眼をこすりながら、継続は力なり、習うより慣れろで生活の一部になってきたが。
 感動したのは、赤ちゃんや子どもの教育、涙なくしては読めない禁煙、ダイエット物語、市勢報告、商売、ゴルフの成績から天体観測、刀剣、庭の花から山里の生き物たち。リアルタイムで飛び込んでくる。南砺の風を感じるようだ。これではまるで南砺市がひとつの大家族やってるようなものだ。
 まだ1ヶ月。されど、これが浸透していけば、合併してよかったと実感できるようになるだろう。地球の裏側に生活していても、南砺市
に参加できる。凄い時代になったものだと感慨深い。もっといろんな人が遊びに来て欲しい場所である。 

小矢部川上流の樹皮にこだわる、変な主婦です。

2006年06月24日


 この方、加藤享子さんには頭があがらない。南砺市天神出身で、現在砺波市に嫁いでいる主婦。
 富山民俗の会、例会が富山県民会館であった。その発表で、小矢部川上流の暮らしと、樹皮の利用という研究テーマの発表があり、会場を沸かせた。刀利ダムにより廃村になった刀利、中の河内、下小屋の集落出身の古老から実際に現地で調べた、山林の樹木の樹皮を、採取の方法、加工と活用について調査研究されたもの。「このおじいちゃんたち、とてもやさしい人たちばかり。ほんとに色んな樹木で実演までしてもらって。」と感激しましたとの話。


 富山の売薬の原料になったキハダの生皮をどう剥ぐか、加工して売るか、その他シナノキの樹皮の繊維をほぐして、どんな編み物を編むか、など、縄文時代から我々の先祖が数千年かけて作り上げた、暮らしの知恵である。
 身のまわりのどんな樹木も役に立たないものは、ひとつもない。そして木を枯らさないよう自然と向きあう。かって日本人の気の遠くなるような時間をかけたノウハウ集があった。そして急速にその情報が消滅しつつある。なんとかいまのうち記録し、継承していこうと実践されている。
 9月には金沢で北陸民俗の会の大会で彼女が富山県代表で発表する。記録集を富山写真語・万華鏡の出版などで応援したい。
 南砺市の里山、山里にこんなすごいテーマが埋もれている。グリーンツーリズムの旅人がいちばん求めているのは、このような日本人の心をえぐるようなホンモノの生活文化の質の高さであろう。食べ物、おみやげ、郷土芸能だけではない。…やっぱ、言い過ぎたかな。
 余計なお世話であるが、南砺市の文化施設、ミュージアムの臨時学芸員として、こんな素敵な人を採用したら、正規職員の三分の一の費用で学芸員3人分の仕事をしてくれるだろう。そして肝心なのは、地元の高齢者や子どもたち感動するだろうし、入館者が何倍にもなると思うのだが。極論御免。

やりましたね!利賀村2億円ですぞ!

2006年06月25日


 きょうの日本経済新聞の日曜版、センター見開き(つまり中心の2ページ・カラー特集)に、南砺市利賀村の瞑想の郷、大曼陀羅が掲載された。やった!田中幹夫でなかった、田中公明先生。(瞑想の郷主任学芸員・東大講師)
 専門的なことでごめん。天下の日経は、手元の電通手帳広告単価表で計算すると、1センチ一段(3.5センチ)8万円×40センチ×10段×2ページ。×カラーセンター。4倍。どう計算しても2億円の広告費なのである。日経は強気で絶対負けてくれない。田中センセイは、タダで2億円を南砺市にプレゼントしてくれたことに相当する。市長に代わって感謝。

 ネパールの画僧サシ・ドージ・チラチャン師は、平成2年から足掛け10年もかかって、利賀村で2枚の両界曼陀羅、4点の仏画の世界的な大作を仕上げた。この日経の記事でも富山県出身の世界的な曼陀羅作家、前田常作先生も敬服された大プロジェクトであった。(昨年、利賀村の住人・吉田氏のアレンジで、サシさんと前田先生の対談が実現。)


 今から18年前、利賀村のネパール友好調査団の一行が厳冬期、ヒマラヤ山中のツクチエ村をめざした。そばの文化を求める無謀な旅であった。同行した私の目的は、ネパールトップクラスの曼陀羅画僧、サシ・ドージさんと会うことであった。
宗教施設ではない。観光目的でもない。美術館。つまり両村の友好記念ミュージアムである。日本で曼陀羅を描かないか。」と通訳のヒロコさんを介して話し合った。持参した立山曼陀羅のカラーを見せ、富山は曼陀羅の文化の終着駅であると説明。費用のこと、画材のこと、お互い、貧しい農家の8人兄弟の次男坊。絵は得意。まるで兄弟ではないか。彼の眼がきらっと光った。宮崎村長(当時)が握手して決定。かくして世界的なプロジェクトが誕生したのである。翌年、不安そうな顔をして利賀村に入った。以来の長いおつきあいとなった。ネパールから偉いお坊さんがやってきたと、お年寄りは喜んだ。
 日経は300万部の発行部数を誇る。読者は日本の政財界、文化人のトップ。田中学芸員は南砺市のお金を一円も使わずに世界的な財産のPRをしたことに。ちなみに、紹介された世界を代表する胎蔵界曼陀羅2点のうち、京都・東寺のは国宝である。南砺市のブレーンに感謝!

まじめに?中央植物園でお勉強してきました。

2006年06月26日


 月刊・万華鏡の予備取材で、婦中の県立中央植物園に、久しぶりに行った。花のピークは過ぎていたが、日曜日とあって、植物が好きなグループでにぎわっていた。


 ここには3つの大きな温室があり、熱帯植物、立山などの高山植物、中国雲南省の植物が展示されていて楽しい。
 温室内の解説がなかなか面白い。「フトモモ」というのがあって、中国、琉球、日本へと伝わって和名がフトモモ。残念ながら、セクシーで眩しい太腿とは関係ありません。と、のたまう。
 開園にあたり、全国から若い、優秀な専門家を集めた。県のお堅いイメージとはふた味ちがうミュージアムである。ちょっとうれしい穴場。レストランはトロピカルで、安くてなかなかおいしい。

愛染苑には花が絶えません。

2006年06月27日


 すっかりカラ梅雨の空模様であるが、ここ旧福光・栄町の棟方志功記念館・愛染苑ではアジサイが花どき。年がら年中、いろんな花が絶えない。


 もともと55年前、棟方志功さんと、大家の石崎俊彦元図書館長とで、競うように植え込んだ山野草、庭の花木が、現在も受け継がれているもの。庭というにはあまりに小さいが、季節を知らせるようにいっぱいに咲きつづける。
 絵手紙ファンは、福光時代のムナカタ・ファンでもあり、訪れたかたがスケッチしているときも。
 もっとすばらしいのは、草月の成瀬有紀社中が、生け花をボランテイアで長年続けられていること。こころ休まる、あたたかい空間である。

ことしも熱い季節「ねつおくり」がやってきた。

2006年06月27日


 南砺市最大となった、ねつおくり祭りの詰めの実行委員会が開催された。たぶん?梅雨明けの7月20日(木)から、23日(日)までの4日間、福光が熱く燃える。
 アンケートでも人気があるのは、21日のめでた花火、23日のなぜか土曜のサンバ。YOSAKOIや、ねつおくり太鼓、ステージイベントや町流しなど楽しいプログラムがいっぱい。中でも800人規模のサンバは日本最大規模の参加者なのだそうだ。

 このイベントは、本来田園をめぐる日本唯一の民俗行事である。それが町の賑わいの祭りに磨きをかけて成長させたもの。同じように、砺波市のチューリップフェアも、生産者のイベントだったが、町のにぎわいには結びつかず苦労されている。
 恥ずかしながら、イベント業務管理者という資格を持っているけど、麦や祭り50周年、チューリップフェア50周年の見直し作業を手伝ったことがある。福光も50年を超えたが、先人たちの苦労のおかげである。
 第一回のとき、川原町に住んでいたので、小矢部川の河川敷で、太鼓打ちコンクールがあった。年配者ががんばっていた姿が蘇る。

志功さんが南砺市の風景を描いています。

2006年06月28日


 棟方志功記念館・愛染苑では、初夏の企画展が始まった。前庭のトリアシショウマの花に蝶が迎えてくれる。
 テーマは「雑華堂(ざっけどう)展」である。志功さんの堂号で、いたるところ花が咲き乱れているアトリエの意味らしい。東京時代も南砺市時代も、この看板を掲げていた。
 
 大小とりまぜて、板画(志功さんは、あえて板の絵と呼んだ)や、肉筆画が並ぶ。今回がはじめてという作品も多く、上平の赤尾道宗臥像の柵、油断あるまじきことの板画や、袴腰遠望、福光田園風景、可憐な挿頭花集のカット連作など、花をモチーフに特集されていて、南砺市の風土のやさしさが伝わってくる。


 前庭の一角に、志功さんが大好きだったオモダカが芽を出していた。志功さんの命日、秋の沢瀉忌までには白い花を付けてくれるだろう。
 ほっとする空間である。先日も、北海道の絵手紙グループが大挙やってきて、ミュージアム・グッズが売り切れた。

朝食は、どじょうのかば焼きです。

2006年06月29日



 石の彫刻をやっている、義兄・大成浩夫妻が、インテックさんの新社屋モニュメントの設置に、我が家へ。
 前夜、いいブランデーの水割りで、すっきりお目覚め。朝食のご膳は福光のドジョウのかば焼きがメインデッシュ。香ばしくて、小骨がプツプツ。タレがいい。ちょっぴり土の味がする。
きょうも空梅雨で、熱くなりそう。茶の間での朝の宴は大好評で、機嫌よく東京へ戻るのを見送った。

 
 実は2年前、北陸3県で発売されている、自然人のコラムにこのドジョウのかば焼きを紹介したことがある。気前のいいAさんにドジョウをわけてもらい、ワイングラスで撮影した。終了後、前の小川に放してやった。ほどなく、金沢の店が廃業というニュースを聞く。あんな小さいドジョウを裂いて焼くなんて、富山市の人たちは信じられないようだ。熱送りのころの味である。(美味しんぼにも紹介)
 Aさんのお店は昔、川原町の角にあり、修業時代は一軒おいて隣り。遅い朝飯を一人で食べていると、いいにおいが町内を漂ってきた。落語の世界。惜しくも先年亡くなって、この味も絶えた。合掌

気になる自治体事情?富山市

2006年06月30日


 
 森さんが市長になってすぐ、冷やかしに秘書課へ行ったら、10人ぐらいがいっせいにジロリ。広い部屋で照れながら、真新しい名刺をくれた。
 とにかく行動の人。部長以下さぞ息切れしたことだろう。真っ先に決断したことはライトレールの導入。なんと3年足らずで走らせてしまった。市内電車の復活は日本でここ数十年はなく、世界では100番目という快挙なのである。小雨のなか、初めて乗ってみたら、15分毎の運行で、実に快適。満員だった。ウイークデーは半額の100円(タクシーで4000円くらい。)懐かしい富山市北部の様相ががらっと変わっていた。岩瀬の町は見事に観光地として息を吹き返す。


 富山市の北部工業地帯は、市のアキレス腱だった。運河が廃れ、重工業の撤退、公害、富山港線の廃線。いいことはひとつもない地域だった。それを逆転の発想で、交通インフラに集中投資し、予想以上の活気が蘇る。今後住宅団地が大規模に開発されていくだろう。

 古い米蔵をそのまま活かしたなかじま屋をのぞき、利賀のそばを注文する。賑わいは村のひとケタ上を行くだろうが、利賀の味の評判は富山市民の間できわめて高い。この地域を地元とするM市会議員が、住民の先頭に立ってがんばった。いつも情報交換している勉強家の仲間であるが、この実績から若くして、合併後の大富山市の議長にこのほど選ばれた。
作者 : 奥のほそみち

石崎光瑤に感動し、棟方志功に共鳴するお仕事です。運転しないから、人の行かない裏通りや、細い道をひたすら歩く。 そこで見つけた話を紹介したい。 雪吊を 終えたる樹々の 斜塔めく          あさぎり         

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