2008年08月30日
グリーンツーリズム
富山大会へ向けて
井波・城端分科会、
五箇山分科会の
準備会が、井波アズマダチ井波で。
夕陽がきれい。
典型的な散居村の真ん中に、
砺波型の民家の
凄さが伝わってくる、
素晴らしいミュージアムです。
(砺波のとはぜんぜん違いますね)
我が家へ帰ってきたという、
気分になる、
南砺市にしては、うれしい施設です。
使いやすく、ほっとします。
私の福光の実家も
まったく同じ造りで、
懐かしい。
地域でがんばっている、
元気なパワーで
地域にこだわりたい、
農業の未来を考える、
と、いうのが、
グリーンツーリズムのテーマです。
おいおい、
この事業についてレポート
していきますから、
ぜひご参加を。
面白いですよ。
魅力のある、
土の匂いのするメンバーばかりです。
2008年08月28日
富山市の
西ロータリークラブで
卓話という
30分スピーチ。
インテックの会長さんら
おなじみの面々
最近、毎週のように、あちこちで
棟方志功について語る機会が多い。
12時半から
会食。そのあと卓話。
テーマは
富山時代のムナカタとは。
疎開のいきさつや、
足跡、言動、作品解説も大事であるが
南砺市という風土で
どんなインスピレーションを
受けたのか、
棟方志功という芸術家が
地域にどのようなインパクトを
与えてくれたのか。
その作品は
どのように人の心を動かしたのか。
それはなぜか。
それを模索することが
人と芸術に対する
最大の敬意であり、楽しみでもある。
知識や情報の説明ではなく、
ふるさとの可能性や、
生き方を謙虚に学び、
ともに考える。
そんな美術館でありたいが、
道は、
気が遠くなるほど遠い。
2008年08月27日
今朝の車窓。
あと数日でこの風景
一変してしまうでしょう。
秋です。
このところの
超多忙の反動で、
逆に本を読みたくなる。
NHK出版「知るを楽しむ」より
中国の国名は何語?
正式国名はご存知ですね。
中華人民共和国
あた〜りィ。
しかし、
「人民」「共和国」はれっきとした
日本語です。
建国のとき、
毛沢東さんたちは、
頭を抱えて悩みました。
しかし、
日本人が造った社会科学用語に
代わる中国語が無かったのです。
金メダルでは、
日本は圧倒されましたが、
ここで、
逆転一発でした。
漢字をもとに、明治のはじめ、
日本の識者は知恵をしぼって、
ヨーロッパから、
英語、ドイツ語、フランス語から
翻訳しながら、
社会科学や哲学用語を
精力的につくりました。
「哲学」も日本語です。
孫文さんや
周恩来さんが日本に留学。
毛沢東さんは、北京の図書館長。
そして学んだ、日本語が
中国革命や
建国のときに役立っています。
えへん
2008年08月26日
富山市郊外、月岡から
雨上がりの剣岳が見えます。
県の農業研修所で、
第2回のグリーンツーリズムの
研究会が開催されました。
(前回は私が講師)
元気のいい、
田中幹夫氏の
後援会、じゃなかった講演会です。
テーマは、
文部科学省などの、国の事業
「子ども農山漁村交流プロジェクト」の
利賀村での取り組みについてです。
県内の市町村から、熱心に参加。
あわせて、35年にわたる、
利賀村のセカンドスクールの
事例が熱っぽく語られました。
受け入れ側の
民宿から米倉さん、長谷さんが
宝仙学園や、山村留学など
具体的なアドバイスがあり、
参加者を感激させていました。
いよいよ、グリーンツーリズムの
全国大会へ、拍車がかかりました。
2008年08月26日
筑波大学の
みんなで農作業の日in五箇山
コーリャク隊です。
南砺市の観光
観光連盟の
役員・運営理事合同会議が
城端庁舎で開催されました。
東海北陸自動車道の
全線開通後の結果等について
いろいろ報告がありましたが、
目を見張る経済効果というのが
いまひとつ見えていません。
数字で言えば
氷見の海鮮館ぐらいで、
民宿が潤ったわけではありません。
南砺市の場合、
どうしても通過型観光が
避けられない。
経済波及効果からいえば
長期滞在、宿泊、リピーターを
念頭に置いた戦略が必要であろう。
その場合、
体験型のプログラムが欠かせない。
先日も、筑波の学生や、
武蔵野美大の学生が
南砺市で体験学習を行った。
そのお手伝いもした。
この10月には、
グリーンツーリズム全国大会の
地域分科会が
南砺で3箇所開催する。
これも観光戦略の
ひとつの実験として
取り組みたいと思っている。
人は
魅力のある人に
会いに来る
結論を急ぐべきでは
ないけれど、
南砺市の観光戦略について
いま一度、検証しなければ
ならないでしょう。
2008年08月24日
2008年08月22日
2008年08月21日
棟方志功記念館
愛染苑の向かいに
旧居「鯉雨画斎」が保存、
公開されています。
その屋根裏に
子どもしか入れない空間があります。
そこで、当時小4の
小泉ちよゑちゃん(志功二女)が
りんご箱の机で
作詩していました。
ちよゑちゃんとパパと
だまし川の絵本
そこに登場するシーンです。
絵本は1200円で愛染苑、美術館
福光駅売店で売っています。
ラモベールでの
絵本出版のつどい。
真ん中がちよゑさん。
隣が原作者の大成勝代。わがつれあいです。
ちよゑちゃんは
少女文学雑誌「ひまわり」投稿の
常連でした。
もうひとりの常連は
正田美智子さん。現皇后さまです。
東京の立派な洋風の正田邸は先般、
惜しまれて取り壊されました。
シンデレラ物語りを絵に描いたような
まさに絵本になりそうな豪邸。
そして、あばら家の棟方住居が
残ったと言うのは皮肉ですね。
ちよゑちゃんは
この部屋で4人兄弟と暮らしました。
愛染苑・鯉雨画斎の
外側から、小窓が見えます。
いちど、ごらんください。
2008年08月18日
我ながら
どうかしている。
お盆もほとんどなしで、
毎日
10時間以上は
パソコンを叩く。
富山写真語・万華鏡が
この9月に
めでたく200号を。
長年の支援者へ
お礼の意味も込めて
2倍の24ページで
オールカラー。
値段据え置き。
盛大な持ち出し。
事実上の自費出版となる。
テーマは
南砺市のど真ん中に
かって存在した
旧陸軍演習場の記録である。
主宰者・写真家の
風間氏は富山から毎日
立野ヶ原ヘ
通いながら10日以上も
シャッターチャンスをねらう。
医王山が
なぜか、ずっとガスがかかって
空振りだと嘆いていた。
ことしの夏は
異常気象である。
それにしても、
パソコン中毒は
よくない。
コーヒーの消費量ばかり増える。
体重も増える。
むかしなら、タバコだった。
南砺の埋もれた宝を
いま一度、
内外へアピールしたい。
2008年08月17日
夏の
欠かせない風景。
でも、
このあとが怖い。
この季節、新盆を迎える人。
前田常作さん、
大平山濤さん。
いずれも思いでの多い人。
今朝の北日本朝刊。
追想欄
水野豊彦さん
とやまに関係ないのに、
病院向けリネンサービスの
会社を立ち上げる。
創業のとき、お手伝いした。
日本海綿業という社名。
海綿業と間違えられるから、
日本と、書体を違えさせた。
(似たケースでは、富山県立山博物館。
山の博物館と間違えられるので、
「立山博物館」と、[ ]をつける。)
この水野社長は、
富山の地へきたとき、
「真っ先に自分の墓を作った」と
笑われた。
その気構えで、
地元の信頼を集め、
事業を展開させた。
なかなかできないこと。
あのひとことを
さりげなく語られたのが、
強い印象に残っている。
合掌。
2008年08月16日
おなじみ
セミのぬけがら。
この雨で
ちょっと静かに。
帰りの列車は
城端線、北陸本線、豪雨で
めためた。
週刊誌を何種類か。
びっくり3連発
@北朝鮮のキム・ジョンイル
数年前に死去。
現在は、影武者なんだそうな。
ありそうな話
A平安時代からの日本では
300年間、
死刑は執行されなかった。
この10年余りで、年に0〜3件。
が、この一年で
長勢甚遠法相10件
鳩山邦夫法相13件
B毎日殺人事件の殺伐なニッポン。
いつもトップは
陰惨なニュースにへきえき。
昭和50年代の最高は
3千数百件の殺人事件。
昨年は、その4分の1。
千件ちょっと。
すごく減っているのだそうな。
ちなみに、
交通事故死1万件
対して
自殺は3万件。
とかく数字は、比較によって
ことの深刻さがわかる。
2008年08月15日
昨日、うれしい来館者です。
石崎光瑤の息子さん
石崎宏矩さんファミリーの
10人です。
遺族のご来館は
久しぶりのことです。
夏休みを兼ねてのツアーを
組んでいただきました。
けさのT紙に出ています。
さらに、
全国紙Aの県版に
万華鏡200号についての
特集が載りました。
200号記念のテーマは、
「監的壕」です。
写真家の風間耕司さんの
17年間の苦労話が紹介されました。
南砺市の
ちょうど中央あたりに、
本州最大級の
陸軍演習場があったことを
ご存知ですか。
南砺市として
風化させてはならない記録です。
110年前から時代に翻弄された、
小さな村の物語りを
いま、編集中です。
9月初旬に発刊です。
2008年08月14日
つばきさんのブログ。
盆前に仕事を片付けたい。
世の中、そんな気分で
原稿の締め切りが重なったり、
催促したり。
わがつれあいも、
気ぜわしく掃除と洗濯と。
お客は来ないのだけれど。
けさの出勤の列車では
帰省ラッシュに遭遇する。
途中で満席の特急電車。
若いお母さんと子どもが
通路で立ち尽くす。
ああ、何時間もこのまま
関西方面までか。
眼が合ったので、
小さな声。
「つぎ高岡で降りますよ」
ぱっと、顔が明るくなる。
ささやいて、
いい反応が返ってくるのは
嬉しいもんだ。
なんということはないのだけれど、
今日も、がんばらなくっちゃ。
2008年08月13日
2008年08月12日
きょうは、
日航機事故から23年。
かっての同僚7人を失いました。
最大の9人が犠牲の松下電器。
もう時効と思いますので
当時のお話。
松下電器の本社は大阪だった。
テレビコマーシャル作成に、
いつも東京へ長期出張。
CMは東京でしか作れません。
制作スタッフのわが同僚も
大阪支社から東京へ出張。
お盆前の12日。
関係者は、少しでも早く
大阪へ帰りたい。
そのため、
新幹線で3時間なのに、
出入りで2時間の飛行機に
乗った方たちが
日航機事故に遭遇しました。
ムリせず、安い新幹線を利用すれば、
安全だったはず。
それを、東京→大阪を飛ぶ。
それがステイタスのような人たちでした。
大阪支社の特別室に
写真と生花の祭壇が設けられました。
焼香に、仲間の写真がずらりの
光景に息を呑みました。
不運と言えばそれまでですが、
そんなバブルの結果が
あの大事故に直結してしまいました。
合掌


